仕事を終えて、駅からの帰り道。
自転車で通りかかる墓地に、光が浮いていた。
小さな墓にも立派な墓にも、灯がともされていた。
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僕が幼い頃から、実家では「迎え火」「送り火」が毎年行われていた。
全国でさまざまな形式があるようだが、僕の実家ではたき火を行う。
もちろん墓地にはロウソクや線香に灯がともっているのだけど、庭でも「迎え火」として用意されたたき火が行われていた。
毎年のことだったが、おばあさんは「まよわず帰っておいでね」といった言葉を投げかけるのが常だった。
「迎え火」は、仏さまが帰ってくる目印にするため。
そういって教わっていたので、どこからお帰りになられるのか星空を眺めていたことを思い出す。
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実家では、不思議なことに毎年お盆になると小動物が家に迷い込む。
雀であったり、蝶々であったり・・・
そういった生命に仏性を感じ、「今年も帰ってきたんだね」と声をかける家族がいた。
迷い込んだ生き物の姿
狭いながら屋内を舞う姿や、縦横無尽に出口を探し飛び回る姿、あるいは地に這いたたずむ姿に、何かしら先祖とのつながりやメッセージを感じたものだ。
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実家にある仏壇には、先祖代々というよりも、ある女性の遺影が置かれていた。
若くして亡くなられた方で、成績は優秀、貧乏な家にいながら、持ちもしないピアノの腕前がよく、また、しばしば鉛筆をとり広告の裏にでも上手なスケッチをされる・・・。そういった女性だと聞かされていた。
僕は、実家にいて、この方を心に映し育ってきた面もある。
成績表は仏壇に供えたし、何かあれば仏壇に手を会わせていた。
そういえば、お供え物のおやつをいただくときも手を会わせ「いただきます」と吐息まぎれの声をかけていた。
実家を離れている今でも、精神的支柱にこの方が居られて、僕を支えてくれている。
一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)
衆生(生きるもの)の全てが仏性(仏のポテンシャル)をもっている。
思うに、「仏性」とは「感謝」ということではないか。
生きるもの、他人、物、出来事・・・そういった物に仏性を感じる。
僕でいう仏性はまさに、この仏壇におられる女性をそこに感じるということである。
子供の頃は、その方の写真もかなりの年上ようにおもったけども、今では僕の方が優に年齢を乗り越え歳を重ねてしまっている。
申し訳ないことに、いつまでの年上の女性のイメージは変わらない。
ことしも、数多ある光の中から、僕達のもとに帰って来られる。
墓地に揺らめく灯火
子供の頃に仰ぎ見た星空
迷い込む生き物たち
そういったもの、そして僕との関係性(ご縁)、すべてに感謝の心を。
合掌
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