救護班

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僕の東日本大震災 | 理学療法士が参加した救護班

東日本大震災が起こって9年 この時の流れが、早いようにも思える。 当時も理学療法士として働いていて 被災から何日もたっていても、リハビリテーション(リハ)職種の応援活動がなかったのに対してやきもきしていたのを覚えている。 平常時であっ...
救護班

私たちは、忘れない。

3月に入り、職場からバッジが配られた。 ―――― 3.11 私たちは、忘れない。 ―――― もう5年にもなる。 被災後の1ヶ月を目前に、僕は救護班として現地に向かった。 その2年半後に再度現地を訪れた。 奇跡的な再会も果たしたり...
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「私たちは、忘れない。」

「私たちは、忘れない。」 -------------- 日赤は、「東日本大震災により苦しんでいる方がたや失われた生活を思い、これから起こり得る災害に備えて一人でも多くのいのちを救いたい」という考えから、「私たちは、忘れない。」の合言葉...
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僕の 3.11

ほんと、4年も経ったんだね。 東日本大震災 当時の僕は、 震災を職場(急性期病院)の患者さんから聞いて知った。 とんでも無いことが起きているということで、病院内がざわついていた。 この日は副院長の送別会もあって、その会もなんとも言え...
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4月11日(5-2)

救護活動最終日となる。 ゆっくりと睡眠をいただき、8時40分にロビーに集合した。 朝食はホテルでとる。 暖かいモーニングに感謝。 被災地では連日、看護師さんたちが食事の世話をしてくれたが、彼女らにも心から感謝したい。 -------...
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4月11日(5-1)

4月10日、最終日の用務を終えて、車で宮城を出て、秋田に向かった。 来るときもだったが、秋田空港を利用して島根に帰ることになっている。(※帰りはANA便で米子空港に到着) 23時秋田のホテルに到着。 ロビーのおじさんが、びっくりしていた...
救護班

救護班(4-1)

5時半起床 実質、今日の午前で救護活動は終了となった。 午前中に地区の訪問診療と調査 僕たちは2班に分かれて行動した。 といっても、医師は一人しかいないので、もう一人はNGOの女医さんに依頼して一緒に巡回することになった。 僕は運転...
救護班

救護班(3-1)

5時半起床 僕が目覚めると、やはり昨日同様、隣に先輩主事は胡座をかきパソコンに向かわれていた。 出遅れたと感じたが、 既に、師長さんと医師は起きておられ、別室でミーティングを行われていた。 薬剤師は僕と同時に起きて、あと2人の看護師はま...
救護班

救護班(2-3)

昼になって、やっと用務地へ行くことが許可された。 雄勝町大須(おがつちょうおおす) 赤十字も、まだ、しっかりと調査が行われておらず、道路状況や現地のニーズも把握できていないということだった。 僕らは、診療とともに調査の仕事がメインにな...
救護班

救護班(2-2)

キャンターの片付けを終えても、まだ、待機。 しかし、いつゴーサインがくるのかもわからない状況だった。 医師と師長は災害対策本部のある石巻赤十字病院にいた。 2人を送った主事は、再度、こちらに戻ってきていた。 僕と主事と看護師2人、そして...
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