「いいでしょう。仕事はなるべく多い方が良い。男を磨くことになります」
と教えてくれたのは、当時鳥取大学で講師をされていた先生。
我が家にパソコン「マッキントッシュ」を導入してくれた偉大な先生だ。
先生がmacの操作をしながら、そう言われたのを今でも思い出す。
社会人となり、あれやこれやと仕事が舞い込んでいる時期に、アドバイスしてくれたんだ。
といっても、僕は仕事が多くて困っていたのではなくて、若手ながらも任される仕事があるということを話したかっただけなのかもしれないが・・・
僕はこの先生の言葉を大切にしている。
「男を磨く」という言葉の意味は分からないけども
なんとなく、輝かしく心に響いたのを思い出す。
「女はどうだ?」とか「男ってなんだ!」とか、野暮なことは突っ込まない。
子供の頃、「男の子だったら泣かないの!」といわれるのと一緒だ。
おそらく、「人間を磨く」とか「自分を磨く」でも良かったと思うが、僕が男ということから「男を磨く」が適当に思われたかもしれないし、それが功を奏しているようにも思える。
とにかく
「仕事は多い方がいい。男を磨くことになる」
が先生の言葉だ。
先生の言葉を受けて
ただひたすら、仕事を受けることが自分の精進になると思っている。
(後に「仕事は美徳と考えることが日本の精神」ということを学んだときに、妙に納得できた)
先日、職場で班を組んでいるメンバーとの話し合いの中で、後輩達から「これやめませんか?」という意見を受けた。
当初計画していた企画が、どうも容量オーバー(いわゆるキャパオーバー)になってしまうというのだ。
「今取り組んでいることでもいっぱいいっぱいなのに、これ以上プログラムを増やしても出来ません」
という主張だった。
年齢や経験年数にかまわず、自由に意見を言える空気は良い。
けども、「できない」と恥ずかしげもなく(男の子の口から)スラッと出てくるのは、どうも違和感を感じた。
どうも、自分という人間性を貶めている。
「できない」ということは「私という人間はこの程度ですよ」というのを露呈しているような気がするからだ。
「できない」それが、全うな自己評価の上であっても、歯を食いしばって突進するのが「あるべき姿」なんじゃなかろうか?
そして、先輩に向かって「無理です」とか「できません」とか「忙しい」とか言うことは極力さけなければならないことだと思う。
(矛盾するようだが、これは決して「自由に意見を言う雰囲気」とは反していない思っている)
「できない」と吐く前に、「ではどうするか?」「いかにやるか?」ということを深く考えることが必要だ。
・・・
なんて思うボクチンは古いタイプの人間なのだろうか・・・?
コメント
同感です。
はじめまして。
やる前から、「出来ない」と決めてかかるのは、本当になさけないと思います。
とりあえず「やってみる」どうしても難しいようなら、どうするか工夫する・・・
そういった事を考える人が少なくなってきてるような気もします・・・。
我が子も、すぐに諦めるような事をいうので、時々イライラして叱ってしまいます・・・(汗
>同感です。 (korokoro)
賛同ありがとうございます!
僕も、イライラ虫がつきやすい性格なのです(笑)!
またいらしてくださいね!
[…] kazz blog「先生のコトバ | キャパシティ・オーヴァ | 働き方」(2009年3月28日) […]