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寿司屋の理学療法士

今週は月・水・金と赤ベコ・・・

「行き過ぎだよー」

という感じだが,仕事が終わるのが日付が変更するあたりなので,「寿司でも食べて一杯・・・」という誘惑に誘われる.
ま,ダラダラしすぎといわれれば,反論できないのだが・・・

さて,赤ベコのメニューには

■寿司屋のサラダ

というのがある.

寿司屋"ならでは"のサラダということだと思う.
そのまんまだね.

基本的に量が多くて刺身が大量に盛り込んである.
タマネギのスライスと刺身の見事なコンビネーションが最高である(・・・たぶん).
一人では食べられ量ではないので,最近は食べていない・・・(残念).

「寿司屋のサラダ」を見ていつも反省することがある
それは

■"ならでは"

ということ.
"寿司屋の" の "の"の部分が強調されて見えてしまうのだ.

僕は理学療法士.医療(あるいは福祉・社会)におけるリハビリテーションの専門職だ.

では,
理学療法士"ならでは"
であったり
リハビリテーション(科)"ならでは"

ってどんなことだろうと思うのだ.

例えば
■寿司屋の(ならではの)サラダ
     ↓
■理学療法士の(ならではの)ポジショニング
という発想.
※ポジショニング:(患者さんの)姿位・姿勢をつくること

あるいは
■寿司屋の(ならではの)サラダ
     ↓
■リハビリ科の(ならではの)看護
という発想でもいいかもしれない.

理学療法士(あるいはリハビリ科)意外にはないような,特性みたいなもの.
無いわけではないだろうが,あくまでも顕在化していないというところが,反省なのだ.
寿司屋のサラダの"ならでは"は一目瞭然なのだから...

また,僕個人として
■寿司屋の(ならではの)サラダ
     ↓
■僕の(ならではの)人生
という発展系もある(・・・発展してないかも~笑)!

また,アフォーダンス理論チックに考えると
■寿司屋の(ならではの)サラダ
     ↓
■鉛筆の(ならではの)行為の可能性
・・・これは言い過ぎか orz...ウー

何にせよ,「存在」には,そのもの"ならでは"の何か(意味なり意義なり価値なり結果なり可能性なり)が内在している

そう,ボヤァと考えてしまうのだ.
酔っているから

僕は専門職"ならでは"の思考と・技術を患者さんに提供できているのだろうか?
そういう反省
僕はリハビリ科の理学療法士"ならでは"の活動を展開できているのだろうか?
そういう反省である.

赤ベコで酔っぱらう理学療法士の僕ならではの愚考かな.

コメント

  1. みっぴぃー より:

    (´・ω・`;A) アセアセ
    おぉっと!!!

    パぁーのみっぴぃーには難しそうな・・(´・ω・`;A)アセアセ

    コメントありがとうございました。
    とても嬉しかったです!!!*:.。☆..。.(´∀`人)

  2. kazz より:

    アセ?
    いえいえ・・・
    酔っぱらってつまらないことも書きますので(笑)!
    また,覗いてやってください!

  3. NORIKO より:

    失礼いたします
    理学療法士も理学療法士ならでは…とか悩むんですね?なんか、40年かかって専門性がこれ程までこれたと聞いたことがあります。

    介護福祉士は誰でもいい、できるなんてまだまだ専門性というものが認められていなく。介護福祉士ならでは…20年目の今から20年後には理学療法士のように、認められているでしょうか…
    そんな不安を抱きました。

  4. kazz より:

    不安ですよ・・・
    個人的な意見なのですが,
    現状として理学療法士(達)の専門性は(広く見渡した場合に)それほどたいしたモノではないのではとおもいます.
    理学療法士(達)は
    ・技術が有る
    ・知識が有る
    ・社会的地位が有る
    のではなくて
    ・技術が有る”筈”
    ・知識が有る”筈”
    ・社会的地位が有る”筈”
    になってしまっているのではないかと思います.

    それでも社会的にまもられているのは国家資格があること,理学療法士・作業療法士法があることだと思います.(厳しいですかね?)

    「理学療法士がそうなのではなくて,お前がそうなのだろ!」
    って言われる気もしますが・・・ゴメン.

    もちろん「理学療法士ならでは」の人はいます.間違いない!
    しかし,それは少数なのではないかと思ってしまうのです.専門家としての歴史をつくってきた(つくっている)人たちですね.

    それ以外の”大”多数は,資格を取っただけで専門家になった気でいて,本質には無関心でいることが多いのではないかとさえ思ってしまいます.

    年間の理学療法士の認定を受ける人たちは7000~9000人あたりでしょうか・・・養成校では専門家を教育,人間性を養う というよりも,単位数を取って国家試験に通れば良いという風潮が見え隠れします.国家試験合格率も9割ですしね.

    先人たちの顔に泥をぬって平気でやり過ごすことに何の苦痛も感じない人,患者さんの笑顔を求めない人.決められたサラリーを主目的に働く人,そんなのが多い気がします.(ぼくのまわりだけ?)

    理学療法士(の僕)も不安だらけなのです.

    専門性・・・大切です.
    ハートのある人たちが多ければ,必然的に結果も出て,専門性が認められるようになるのではないかと思います.

    理学療法士は,これから,「専門性が認められなくなる」という時代に突入してしまうかもしれませんゾ!

  5. NORIKO より:

    夜勤中。簡単にスイマセン…
    ハートか…

    専門性のこと考えるとキリなくなりそ…

    でも、相手を思えば…考えて行動できると思いますが…世の中そんなに甘くはないかf^_^;

    どの職種でも、技術に知識に主をおかない方向にいってほしいですね(>_<)

  6. kazz より:

    そうです
    夜勤お疲れさまですね!
    ホントに,専門性を考えるとキリがなくなりますし,自分自身も不安になりますよね・・・

    僕たちの存在が,患者さんのためになるように頑張りましょう!

    ちなみに,理学療法士は夜勤有りません.
    (夜遅くまでブラブラしていることはありますが・・・)

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