今日は勤務終了後に近隣セラピストとの実技練習会!
今日は僕が講師役
本日のテーマは上肢の機能とその治療についてで、講義&実技の2時間。
上肢のおおまかな機能を僕なりにカテゴライズすると(とりあえず7つ挙げてみた)
■リーチ(リーチイン・リーチアウト)
→外界へのはらたきかけ。自己へのはたらきかけ
■バランス
→バランスを保持するための上肢機能
■支 持
→支えとしての機能。立ち上がりや起き上がりの際の上肢による支え
■推 進
→立ち上がりや起き上がりの際、支えた状態からのプッシュアップなど。また歩行時の上肢スイングなど
■自己身体表象
→自己の存在の一部としての上肢
■操 作・マニピュレーション)
→手による外界(物)の操作
■知 覚(パーセプション)
→対象の知覚の一機能として
■合 図・コミュニケーション
→他者や自己にたいするコミュニケーション
■道具として
→道具を使う手という意味ではなくて、手(上肢)そのものが道具の役割を果たす。
それぞれの機能をみてみて、例えば、いま担当している片麻痺患者さんを想定してみても、麻痺側上肢がこれらの機能を果たせているだろうか?
その麻痺手で、挨拶できている?支えている?ものを持てる?ほったらかしになってない?などなど、観察してみると、ほとんど使われていない麻痺手だったりする。
ちなみに、『道具としての手』というのは、書いた通り、道具を使う手という意味ではなくて、手(上肢)そのものが道具の役割を果たすということ。
構図をとるときの「フレームとしての手」
水をすくうときの「お椀としての手」
肩叩きのときの「ハンマーとしての手」
寸法を測るときの「メジャーとしての手」
・・・などなど
僕たちは、こういった機能性の回復についてしっかりと考えなければならないと思う。
「手が動くようになる」
という漠然とした目標だけではなくて、
「このような機能性を回復させる。」
という意思が必要だと思う。
また、カテゴライズした上肢機能の会項目として様々な機能が数え切れないほどあるだろう・・・
「さする」「触れる」「つまむ」「押す」「引く」「伸ばす」「捻る」「まわす」「投げる」「取る」「受ける」「よける」「はらう」「すくう」「縒(よ)る」「ちぎる」「たたく」「なでる」「おがむ」「めくる」「離す」「書く」「掻く」「抱える」「突く」「持つ」「こする」・・・・
まだまだあるだろうけども、こういった細かな機能として様々あるなかで、患者さんをみてみたところ・・・やはりそんな機能性を発揮していなかったりする。
これって重要なことだよね。
今日の勉強会は、こういった導入から実技練習にうつった。
やはり知識のみの勉強会では、「モノ知り」を作るだけ。
患者さんの状態をありありと想像しながらの実技練習がいいと思う。
セラピストにも様々なタイプがあるけども、最近は実技が軽視されている感もある。
ウチの職場スタッフをみてみても、「お勉強はするけど練習はしない」という状態が目につく。
セラピーとはプログラムを当てはめる作業ではない、とそう思う。
もちろん、プログラムを当てはめることが必要な場面もあるとは思うけども、「そこから先」のアートが必要でしょう。
カルテは深く深く 読み込むけども、患者のところには顔を出さない(リハビリ時間のみ登場するセラピスト)
・・・そんなセラピストもいて悶々とするなか、こうやって若手との実技練習がよい刺激になったりする。
さぁ、実技をしようではないか!
患者さんのベッドサイドに向かおうではないか!
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実技練習が終わった後は、
参加スタッフのお別れ会(コトブキなお別れね)で、カーサ・ベッキア
大事な後輩ちゃん達や、お別れするスタッフに、僕の大好きなパスタを食べていただいて嬉しかった。
幸あれ!
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