『学会発表』
というものがある。
あと、『論文』。
はっきり言ってしまえば、ほとんどが愚なモノであることが多い。
(あるいは、僕がそういったものの価値観が分からないだけかもしれないけども・・・)
「そんなことはない!
学会発表や論文は素晴らしいものが多い!」
と言っている方に聞きたい。
『では、一年を遡り、素晴らしかった発表・論文を挙げてください。』
こと理学療法においては、意味のない発表・論文は多いと思う。
いわゆる発表のための発表
こういったものが、世の中のために役に立たないことが多いのは言うまでもない。
僕の周りで、熱心な人はわずかだ。
僕自身は違うが、こう言った人にはエールを送りたい。
心から誇りに思う。
『熱心に論文を書く』というのも
自分のためか、患者さんのためか医学のためかで大きく質を異にする。
僕はと言えば、論文を書く努力すらしていないで、ROM(read only member:書き込みを読むだけのメンバー)あるいはlurker(潜む人)にまわっているので、これはこれで問題なのかもしれない。
さて
今日は夕方から
リハビリ課で勉強会があった。
"構想段階"
と前置きしながらも、ある後輩PT君が「こんな発表をしたい」的な説明をした。
整形外科の治療後(手術後)のバランス機能をみる。
というものだけども、
発表動機は
『せっかく計測機械があるから、それを使って発表したい。』
というモノだった。
発表動機が「発表」そのものにある。
おそらく、こう言ったことは多いと思う。
患者さんの視点を忘れないで欲しい。
患者さんは、計測機械を使うためのリソースではない。
必至に病気と立ち向かって一日を過ごす方達だ。
一緒にその方向を向いて、より効率的に歩んでいくために、ぼくたち専門家がいる。
専門性の確立のために患者さんがおられるのではない。
後輩PT君はこんなことも言っていた。
『何もしないよりは、とりあえずデータをとってみて』
動機が「計測器を使う」というところにあるので、後輩PTが引用している文献(発表)も、その計測器を使った論文を持って来ていた。
その論文に参加されている患者さんは、年齢・疾患的にもウチの病院には希。
ウチの病院では高齢者の大腿骨頚部骨折による人工骨頭置換術が多いのに対して、彼の持って来た論文は中年以降の変股症に対する人工骨頭置換術。どうやら"重心動揺計"と"人工骨頭置換術"とでググった(=文献検索した)みたいだ。
『せっかく計測機械があるから、それを使って発表したい。』
『何もしないよりは、とりあえずデータをとってみて』
もう一度問いたい。
僕等は誰のために存在しているのか?
その上で、良い発表・良い論文を出してもらいたい。
これからどうなるか分からんがガンバレ。
最近はとくに、どうでもいい発表・どうでもいい論文が散見されて、ともすれば、良い者がその中に埋もれてしまう場合がある。
多くの論文から良質なものを探し出すには手間がいる。
今、良い提案を思いついた。
学会発表や抄録を二部構成にするのだ!
『とりあえず』系
『マジで熱く語りたい』系
そのうえで、科学性・有効性・芸術性などで配点を行う。
もちろん、『とりあえず系』からも良質なものが出る可能性がある。
どこにでも天才はいるのだから。
どうかね?
日々の臨床からかけ離れた論文・発表を行うことは、そろそろやめないか?
・・・
といったことを書いた僕は
うがった目で世の中を見すぎているのか?
ただの、論文嫌いなのか(笑)?
コメント
Unknown
穿った目は『事の本質を見抜く目』っていうのが正しい意味って知ってますよね?
『僕は事の本質を見抜く目で世の中を見すぎているのか?』なんてかっこ良すぎです