ヴィヨンの妻
太宰治の代表作だけども
映画化されて、やっているらしい。
ふと、急にこの映画を見たくなったので、昨夜のうちに本屋に行き、原作・・・小説を手に入れた。
今日の出勤列車で十分に読める長さの短編で、一気に読んだ。
久々に太宰治に出会った感じがした。
自惚れかもしれないけども、僕は太宰の魂に触れることができる・・・
そう思っている輩が、太宰作品に惹かれていってしまうんだと思う。
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撰(エラ)ばれてあることの
恍惚(コウコツ)と不安と
二つわれにあり
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ヴェルレーヌの詩からだったか、太宰が引用した言葉だ。
太宰の作品で強く感じるのは
生きる罪深さと、何故だか生き延びてしまう性根
そして男と女の感性(価値観?)の対比
たとえば、「ヴィヨンの妻」にしても、男と女の求める救いの対象(神)の意味合いが全くの真逆に描かれている。
自殺してしまったら自殺することもできない
生きてしまい、その罪を償う
その罪の対象は何か?
存在すること、生まれたこと。
存在する罪を償う為に、存在をなくそうとする。
だが存在をなくせば、罪が償えない。
存在しなくとも罪は償えるのか?
否
・・・
虚無感故に、ハチャメチャをしてしまうんだ。
多分、神を試すことにもなるんだと思う。
「これでもどうか?」って具合に・・・
『僕はね、キザのようですけど、死にたくて、仕様がないんです。生まれた時から、死ぬ事ばかり考えていたんだ。皆のためにも、死んだ方がいいんです。それはもう、たしかなんだ。それでいて、なかなか死ねない。へんな、こわい神様みたいなものが、僕の死ぬのを引き止めるのです。』
『ああ、いかん。こわいんだ。こわいんだよ、僕は。こわい! たすけてくれ!』
(『』=「ヴィヨンの妻」より引用)
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コメント
Unknown
私も、中、高生の頃、人間失格という題名に惹かれて、愛読していました。9歳の頃から、死にたい病にとりつかれていたから。でも、それは、40歳くらいで卒業しました。今、彼のような人に会ったら、ひっぱたきます!たぶん。
>cyamaさん
こんにちは、コメント有り難うございます。
ひっぱたきますか!
久々にこう言った表現を聞きました。
cyamaさん、映画をみられたら、かなりムズムズされると思いますよ!
彼のような人は、なかなかいないと思います。
にしても、9歳からの”死にたい病”てのも凄まじいですね。
その頃は、生きるとか死ぬとかは漫画やアニメの世界でしか知りませんでしたよ、きっと。