デスクに太宰治の
■晩年
晩年 (新潮文庫)太宰 治新潮社このアイテムの詳細を見る |
という文庫本を置いている。
いまは別の本を読んでいて、置きっぱなしなのだけど、表紙をはぐってみた。
目に入ってきたのはヴェルレーヌの詩
「葉」というタイトルの短編の冒頭に心を奪われた。
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撰(エラ)ばれてあることの
恍惚(コウコツ)と不安と
二つわれにあり
(ヴェルレエヌ)
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撰ばれた人間
個というものは皆そうかもしれない。
自分の意識をもっているのは自分だけだ。
あなたがkazzの意識を(推察はできたとしても)、そのものを持つことはできない。
逆に、僕もあなたの意識を持つことはできない。
(せいぜい推し量る程度だ)
そういう点に於いて、「自分」という存在は「撰ばれてあるところ」だと思う。
自分という特別な存在
同時に
それ故に自身しか持てない秘密。苦悩。
自分自身を外にそのまんまに表現することは不可能だ。
「自分」という存在は「自分」のなかに閉じ込められている。
「私秘性」というもの。
ベルレーヌや太宰は、如何様にこのことを考えたのだろうか・・・
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撰(エラ)ばれてあることの
恍惚(コウコツ)と不安と
二つわれにあり
(ヴェルレエヌ)
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