島根県理学療法士会 第一回臨床教育研修会 ~コーチング理論と臨床教育~

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今日は
出雲で研修に参加!

■第一回臨床教育研修会 ~コーチング理論と臨床教育~

『コーチング理論と指導技術』
 江草典政先生(島根大学医学部附属病院) 

『臨床実習教育の現状と課題』
 日高正巳先生(兵庫医療大学 教授)

時代に応じたよい企画で、申込〆切すぎにも関わらず参加することができた。

コーチングに関しては、理学療法業務の上でももちろん、企業コンサルティングのなかで意識しなければならないことだ。

ぼく自身は、ルー・タイス(1935-2012)のコーチング理論を元に学んでいる(と言っても正規講習には参加していないけども)
コーチングには様々な流派があるので、今回のようにある程度まとまった形で講義を受けられることは、よい学びとなった。

会場に向かう途中、ルー・タイスの『アファメーション』を読み直して参加した。
これも振り返りとなって、よい経験だった。

アファメーション
クリエーター情報なし
フォレスト出版

私見だけども、医療場面におけるコーチングについては、スタッフ間のコーチング、そして患者さんに対するコーチングについて分けて考えている。
スタッフ間でのコーチングと、患者さんに対するコーチングでは、情報の流れが大きく違う。
患者さんは、医療者に対して、依存、というと大げさだけども、頼る/頼られるという関係として医療者像をマインドセットされている状態であることが多いと思う(こと日本においてはそうだろう)。
そういった状態での初期対応は、スタッフ間における関係とは少し趣が違う。

今回の研修では、主にスタッフ間の係りを想定した内容が主だった。

僕がコーチングが苦手なところは、『コーチング技術』は表に出てみてとれるというところだ。
コーチング技術をよく知らない人に、コーチング技術が用いられる場合は、抗力を発揮すると思うが、僕のようなうがった態度の人間は「あ、それってコーチング技術としてそういう対応している方でしょ?」なんて変な探りを入れる入れてしまう。
そういうフリさえ見せないところが技術なのだろうけども・・・
なんだか、「あなた、本音隠してる?」なんて探ってしまうことにもなりかねない。そういうところが注意だ。

講師に対しては、実践者として、いくつかの質問をしてぶつけてみたいところでもあったけども、時間の都合もあり、やめておいた。

医療場面において、予測すると

今後は、AI(artificial intelligence:人工知能)の実用化により、インタラクティブ(相互性)、テーラーメイド(個別対応)がなされる、あるいは補完されるようになってくると思う。
すでにそういったプログラム開発をしているところもあるけども、おそらくまだ原始的なプロトコルで解が提示されるのみで、AIの得意とするビッグデータのパタン認識によるプロトコルを使用するまでには、まだまだ期間が必要になると思う。(変化は一瞬だろうけど)。

そして、シンギュラリティ(Singularity:2045年に起こるとされる技術的特異点)以前に十分可能だと思うのだけども、厚労省(あるいはそれに代わる)機関や人権団体が、結果的に(あるいは逆説的に)その利用を阻むと思う。
(※深くはここでは述べないことにする。)

—————————

『臨床実習教育の現状と課題』では
今後の臨床教育ののコア・カリキュラム改善についての情報を皮切りに、どのような臨床教育を展開すべきかを講義された。

時代は変わってきてる。指導者に対する要請も変わってくる。

そういった中で、われわれ臨床家もどう学生をに接するか、なにを提供するか、どう提供するかについて、しっかり学ばなければならない内容だ。
教育も含め、トータルとしてのパフォーマンスを向上させなければならない。社会貢献のために。

しかし、今回の講義中思ったのは、
僕自身が良い指導者に恵まれたということ。

当時のことを思い出してみても、教育指導技術として仕組まれていたものだとは思わない。
きっと指導者はカンのようなもので指導をおこなっておられたのだと思う。

あの頃の指導者に恥じないように、まだまだ成長していきたい。

そういう感謝の念を感じながらの受講になった。

さてさて
先ほどのコーチングでも述べたとおり
近未来では、指導のあり方も大きく変わって来ると思う。

AI利用はもちろんのことだが、ICT(Information and Communication Technology)が先立って教育のインフラを支えることになるとおもう。

理学療法士は技術職だが、そういった技術はほとんど平坦化されて行くだろう。

そもそも、現在においてのセラピストの技術は、武道でいうような”技”とは大きく離れてきており、やや暗示的、洗脳的、催眠的、プラシーボ(プラセボ)的であったりする。
個々の技術においては、いつまでたっても良好なアウトカムを提示できないでいる。

そういう状況が悪い、と言っているのではない。そういうものだと感じているというだけの話だ。

そういえば、ぼくが学生だった時に、臨床実習の目標シートに、『プラセボ効果を学びたい』と書いたのだが、担任によって却下されたのを思い出す。
プラセボ効果とそうでないものを知ることは理学療法技術において大切だと思ったからだ。

いまだに、的を射る目標だと思うのだが、社会的には却下される理由がわからなくもない。
(そして僕自身も、そんな学生が来たら少し変だとおも思うだろう)

さてさて、
こんな僕でも社会に許容され利用されて、臨床を続けることができている。

今後もなんとかなるだろう、という楽観論に立っている。
(そう言っていられるのも、システムをつくる側の尽力のおかげだったりするのだが)

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