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僕の苦手な講演

昼休憩
とあるスタッフと雑談。

僕の苦手な人の講演について

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・・・と、話す前に、
どのような講演・勉強会であっても、学習の程度は、その人の能力(受講する側の能力)によると思う。

演者が悪い、と一方的に決めつけるのも悪いということだ。

どのような講演会・勉強会でも、参加する側の心理状態によって何かしら掴めるものはあると思う。

「まったく勉強にならなかった」と勉強会を悪評する人もいるども、それはその人がそこから何も掴めなかった(掴む能力がなかった)ということだと考えている。
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さて
その上で

僕の苦手な人の講演会についてだけども

要約するとこうなる

・賢そうに話しているのだけども、よくよく聞いて見ると中身が薄い(深みがない)。
・質問をしても、巧みに質問から離れた返答をしている。

もっと要約すると、

・謙虚でない。

ということになるかもしれない。

わからないことはわからないと言えばいい(でも、なるべく分かっていてほしいけど)

おそらく、その人が批判をされない環境にいたせいなのかもしれない。
例えば、学校の教員なんてのは、普段が学生相手に話することが多いだろうから、批判は受けにくいだろう(断定ではなく、そういう面もあるということ)。

その代わり、純粋な質問を受けることには慣れているかもしれない。
しかし、そこからはぐらかす返答の仕方も身についているかもしれない。

立場が上(ウエ)になってきてもそう
なかなか批判されなくなる。もちろん、立場が上になってきても、さらに良い指導者に恵まれていたらば、様々な意見をいただくことはあるだろうけども、そういうのは運が必要だ。
良いメンターに出会えているだろうか?

トシをとり、いろいろ経験すると、態度はそれなりに身についてくる。
けども、中身というのはなかなか身につかない(反面、中身があるような態度は身についてしまう)

少し話を聞いて見ると、その中身が有る無しはわかるものだけども、若手はこういう見抜く力が弱かったりするので、コロリと騙される。

ためしに
「良い講演でした」
と後輩などが言っていたら、「何が良かったの?」と聞いて見るといい。

案外に普通のことしか言わなかったりする。
最新の知見・・・というのも、単なる上部の部分の、しかも伝聞でしかなかったりすることもある。

良い意味でも悪い意味でも、講演会や勉強会というのは、集団催眠の状態になることがある。
実技練習の場面でもそう感じることがある。

集団で、変性意識に持ち込まれている。
おそらく、演者も無意識にだろうと思う。

そういった雰囲気で受講生が得たものは、後に残らない。
感動だけが残る。

結局、この講演はなんだったんだろう?

・・・そういうのを感じてしまうことがあるのだ。

一般には、こう言った僕の状況を「斜に構えている」「穿った(うがった)見方をしている」と思われるのかもしれないが、苦手は苦手なのだ。
(あぁ、心の中にホールデン・コールフィールドが・・・)

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