Pray for France

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Facebookのプロフィール写真を変更した。

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気分によって、時たま変更したりしてるけども今回は

Pray for France

先日フランスで起こった痛ましいテロ事件。
自爆攻撃で無差別にそこにいる人たちを自爆で攻撃したもので、死者は100人を超えている。

Facebookの設定で、このフランスのことを想いプロフィール写真にフランス国旗を重ねるという仕様が施されている。(フランスの国旗の色合いをトリコロールtricoloreというらしいね)。もちろん変更するかどうかは個人の自由だし、変更の時間・時期設定までもそれぞれが決めることができる。

この仕様に対して批判もある。

いわく
フランスの惨劇に対して想いを馳せる必要はあるが、アメリカやフランスなどがシリアに行っている空爆が一般市民をも巻き添えにしている。そのことを日頃から与(くみ)しているのか、と。
安易にFacebookの思惑に乗せられてプロフィール写真を変更するというのはいかがなものか、ということだと思うが。

こういう批判を聞いて少々、乱暴だと感じた。

いいじゃないか

と。

確かに深く物事を考えることは大切なことだと思うが、考えすぎると、結局は何もしないことがいい、ということにならないか?

別に何かを成し遂げたいと思って、この仕様に乗っかっているわけではない、という人がほとんどではなかろうか?

ただ、悲惨な事件に対して祈りの気持ちがわき起こる。
そして、そこにこういった仕様があったというだけで。

もしかしたら、そこから様々なことを知ることができる。
この仕様に対する批判もまた、この仕様の効果と言ってもいいのだと思う。

乱暴だと感じたのは、たとえば

動物が殺されている、という情報に触れたとき、可愛いそうだと思う。
こういったとき、
毎日、植物や動物が殺されていて、それをあなたは食べているではないか、食べ物を残したりしているではないか、という冷ややかな批判だ。

こういったとき、かわいそうだと思わないのが得策だろうか?
「いただきます」や「ごちそうさま」というコトバや気持ち、手を合わせる行動をを偽善だというのだろうか?

そういった冷ややかな批判に対して感じる乱暴さだ。

あるいは、平和を願う宗教家に対して、その宗教も虐殺の歴史を持っているではないか、という冷ややかな批判だ。

今回の仕様について、賛否は分かれているだろう。
が、賛否もなくただただ何となくフランスのことを想いプロフィール写真を変えてみた人もいるだろう。
内容もわからず、そこに仕様があったから変えてみた頭皮ともいるだろう。

いいじゃないか

こういった一連の他者の行動に批判を与えることも乱暴だと感じるが、逆に、こういった仕様を進めるのもまた、乱暴だと思う。

しなければならないわけでもないし
してはならないわけでもない

祈りの気持ちが個々にあって、その気持ちを表明するシステムもそこに存在するというだけのこと。

世の中は様々な矛盾をはらんでいる。

ただ、純粋に感じること、考えること、行動することを自由にさせてもらえる環境がここにある。

一つの祈りや、思考、行動にカウンターとなる情報もまた、祈りや、思考、行動を支えるシステムである。

一つ

この事件の痛ましさ、そしてこの事件を生んだ背景の痛ましさすべてについて
祈りを捧げたい。

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