先日、作業療法士にならんとする学生さんが見学にやってこられた。
1年生なのだけども、かわいそうなことに、態度がなっていなかった。
これは、やって来られた学生さんだけのせいだけではないと思われる。
現代人はどうも、身体的・精神的緊張を保てないらしい。
これは幼稚園児以下に当てはまることなのだけども
パブリック(公)とプライベート(私)の場の区別もつかない。
そして、肉体的も精神的にも、常にダラリとしている。
たとえば、若者の座る姿を見ても、シャキっとしていない。常にだらしがない。
これは、肉体的にも精神的にも緊張を保てていないのだ。
高校野球の選手の凛々しい顔を見てほっとすることもあるが、巷にいる同年代の多くは、そうではない。
整うことから大きく外れたところに価値をおいているようだ。
しかしながら、彼らのだらしなさは、昔いわれた弊衣破帽と質を異にするもので、どこにも美学を感じ取ることができない。
学生さんが先輩の患者さんに対するアプローチを「見学」している態度もそうだ。
巣割っている姿勢は座骨で姿勢を支持するのではなく、仙骨で支持している。結果、背中は大きく曲がり背もたれに寄りかかっている状態になる。
のみならず、居眠りしたり足を組んだりという始末。
緊張すべきときに緊張できない。
学校の先生は、こうった態度を見てきている筈なのに、見学に向かう学生に身を引き締める言葉を与えないのだろうか?
といか、養成校乱立により、こういったことに気を使わない人間が「先生」に成り上がっている故もあり、指導できないのかもしれない。
自由主義も行き過ぎだろう。
まぁ、現場にいるセラピストもどこ吹く風で、全く注意しないのだからそれでよしなのだろうか。
民度の低下に一躍買っているということ間違いなしだ。
しかしながら、患者さんにはとことん失礼だろう。
そこで、彼らの態度を正すべく、講座を開きたいと思う。
■見学学(けんがくがく)
・・・もちろん、精一杯の皮肉だが。
もはや、こういった講座でも開かなければ、彼らはまともに見学できないのかもしれない。
そもそも、彼らが、見ることにより何か学んでいる様子でなく、ただ、見ているだけの気もするが・・・
そのうち、ポケットに手を突っ込んで見学する輩が現れないか心配だ。
コメント
不快な思いを・・・・。
やっぱりそうですねぇ。
何とかしなければならないのですが、
何ともしがたいというか。
「そんなことまで言わなきゃならないの」
と思ったりもしますし。
でも、言わなければ伝わらないわけですし。
私たちが学生の頃も、「最近の学生は・・・・・」
って言われてたんでしょうが、
またその頃とは質が違うのでしょうね。
言葉遣いもイマイチでしたね。
なんだか遊びにおいでになっているみたいでした。
何とかしなければなりませんねぇ。
追伸・・・・
本日、養成校側に報告をさせていただきました。
ついでに、見学に来る際は、
それぞれテーマを持って来ていただけると
助かります、とも伝えておきました。
名指しまではしませんでしたが、
彼女たちに伝わるといいのですが。
時間が経って伝わった場合、
なんのこと?って思われそうなのが辛いのですが・・・・。
>Sotさん
おつかれさまでした。
良い指摘だと思います。
学校の先生にも現状を知ってもらう必要があると思います。
自分たちが正せるところは正していきたいものですよね!