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外国人看護師

理学療法/病院

外交評論家の岡本行夫(おかもとゆきお)氏のコラムが3月31日産經新聞の紙面に載った。

岡本氏は、冒頭、心を開かない日本人と、オープンな韓国人という対比について述べた後、明治と現在の日本人の対比についてこう続ける。

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あの時代、日本は欧米に追いつこうと坂を登っていた。相手の知識を吸収しなければならないから、自然とコチラも心を開く。
現在の日本人は、外国とまともに向き合わない。もはや外国と交流し学ぶ必要性を感じなくなっているのではないか。
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・・・たしかに
日本は古い昔から独特の文化を持っていた。
そして明治からは高度に欧米を中心とした他国の力を吸収し、急激にアジアの、そして世界の一等国に上り詰めた。

しかし、高みに登るにつれてそのガムシャラさは失われた面もあるかもかもしれない。

ただ、この後に続く外国人看護師についての言及には疑問を持たざるを得ない。

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26日に厚生労働省は、看護師の国家試験に3人の外国人が合格したと発表した。屈指の親日国家であるインドネシアからは、累計で277人が来日して試験に備えていたが、合格したのは今回の2人だけ。インドネシアやフィリピンの人々は心が優しくもっとも介護に優れた国民との評価もある。その人達に「褥創(じょくそう)」などという日本語読解力試験を課す。ほとんどイジメではないか。日本人の合格率はほぼ90%だというのに、外国人は約1%。試験に落ちた人々は失意のうちに帰国する。日本政府は外国から400人は受け入れたいと、例によって総論だけ。
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さて、イナカの理学療法士として言わしてもらおうか・・・

「褥創」という単語は、日本の医療者ならば誰もが知っている。

「褥創」に関わる論文や話には枚挙にいとまがない。
もちろん臨床で話題に上ることは医療場面の日常といえる。

これを『読解』できない医療者がいたら、とんでもないことだと思う。

臨床において、「褥創」ごときが通じない医療者がいたとしたら、とんでもない混乱が生じるだろう。

「褥創」ごとき読めない人間を試験のフルイに掛けて
どこがイジメなのか?

このコラムのタイトルは『再び明治の開放性を』となっているが、明治であろうが現代であろうが、こんなのは開放でも何でもないと思う。

このコラムには「褥創」がとり上げられたが、日本で看護師を行う上でも、この他の日本語の知識は当然必要だと思う。
それを乗り越えなければならない。
日本は、独自の文化を持ち言語も日本語だ。

今回の国家試験不合格は、国籍で落とされたのではなくて、日本の看護師国家試験に落ちたということだ。

日本の文化・言語を理解した上で、合格されたのであれば大歓迎されると思う。

今回の試験に不合格となった外国人の方々には、心からおつかれさまと言いたい。

けども、やはり
『外国人だからむつかしい日本語の読解力がなくてもいいや』・・・とはいかないので、そのために努力してもらいたい。

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参考

KAZZ BLOG「リハビリ」関連の記事
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「【人界観望楼】外交評論家・岡本行夫 再び明治の開放性を」

コメント

  1. Unknown より:

    できることも
    裁判員制度の導入で、裁判で使われる言葉が分かりやすくなったと聞きます。

    福祉の世界で専門知識や技能は必要ですが、言葉の言い換えはできるんじゃないでしょうか、ね。

  2. kazz より:

    re:できることも
    コメントありがとうございます。

    たしかにわかりやすい言葉の使用は必要であると思います。
    けども、それで国家試験を通るなんてことは問題が違うと思います。

    専門用語は、専門職で使う場合には必要不可欠であると思います。
    看護師という専門職になるのであれば、一般人向けの平易な言葉のみでなく、専門用語を使えなければならないと思います。

    外国人は、専門用語とともに平易な言葉の両方を学ぶ必要があるかもしれません。

    外国人の受け入れの賛否はあるかと思いますが、その話を別にして、外国人を受け入れるとすれば、いま必要なのは、看護師国家試験のレベルやハードルを下げることではなくて、外国の方が学びやすい状況を整えることだと思います。

  3. noga より:

    The opening of Japan
    外国人看護師 日本語を非関税障壁にするな
    厚生労働省は26日、経済連携協定(EPA)のもとでインドネシアとフィリピンから受け入れた外国人看護師のうち3人が、日本の看護士国家試験に合格したと発表した。
    合格したのはインドネシア人2人とフィリピン人1人で、受け入れ事業が始まってから初の合格者となった。しかし残りの251人は不合格となった。全員が母国ですでに看護師の資格を持っているので、日本語が壁になったとみられる。同じ試験を受けた日本人受験者の合格率は約90%だった。

    我々日本人は、英語を通して世界中の人々に理解されている。
    かな・漢字を通して理解を得ているわけではない。
    我が国の開国は、英語を通して日本人が世界の人々から理解してもらえるかの努力に他ならない。
    我が国民のメンタリティを変えることなく、ただ、法律だけを変えて交流したのでは、実質的な開国の効果は得られない。
    この基本方針を無視すると、我が国の開国も国際交流もはかばかしくは進展しない。
    この基本方針に関して、我々には耐えがたきを耐え忍びがたきを忍ぶ必要がある。

    英米人は、「我々は、どこから来たか」「我々は、何者であるか」「我々は、どこに行くか」といった考え方をする。
    我々日本人にしてみれば、奇妙な考え方であるが、彼らにしてみれば当然の考え方になる。
    それは、英語には時制というものがあって、構文は、過去時制、現在時制、未来時制に分かれているからである。
    3時制の構文は考えの枠組みのようなものとなっていて、その内容は白紙の状態にある。
    その穴埋め作業に相当するものが、思索の過程である。

    ところが、日本語には時制というものがない。
    時制のない脳裏には、刹那は永遠のように見えている。
    だから、構文の内容は、「今、ここ」オンリーになる。新天地に移住する意思はない。
    思索の過程がなく能天気であるので、未来には筋道がなく不安ばかりが存在する。
    TPPの内容に、行き着く先の理想と希望がないので改革の力が出せない。

    必要なものは自分で手に入れるのが大人の態度である。
    だのに日本人には意思がない。それで、意思決定はできない。無為無策でいる。
    常に他力本願・神頼みとなる。
    意思がなければ、意思疎通もはかどらない。それで、察しを遣う。
    だから、日本人の独りよがりは避けられない。

    http://e-jan.kakegawa-net.jp/modules/d/diary_view.phtml?id=288248&y=2009&m=11&o=&l=30

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