「わるいけど、ちょっとみてやって」
と、課長に呼び止められた。
新人さんが脳卒中方麻痺の患者さんのセラピーをしているのをみて、不安に思われたようだった。
たまたま通りかかった僕も、今日はいつもよりも患者さんの担当も少なく大丈夫、指導に当たる時間をとれた。
何よりも患者さんが心配だった。
いきなりだったが、新人さんのアプローチを見せてもらった。
なるほど・・・。
課長が不安になるものもっとものアプローチだった。
上手・下手の問題ではなくて、セラピーの内容や接し方にに何か本質的なものが感じ取れないものだった。
このワンセッションは新人君とバトンタッチして、僕がアプローチをすることにした。
新人君は僕のアプローチを見学することになった。
放課後(・・・とは言わないか・・・業務終了後?)
聞いてみたところ、新人君はこう答えた。
「いろいろ考えるんですけど、何をやればいいのかが分からないんです」
とのこと。
そうかそうか・・・(いままでどうしてたの?って話だが)
「あの方は、何で困っているんだろうか?」
と聞くと、新人君が答えた。
「体幹の支持性が・・・云々」
・・・うん、そうだね。”支持性”も生活の全般に関わるけど、食事の時や着替えの時や・・・何か困っていないのかな?半身が麻痺で動かないんだよね?
よくよく聞くと、(予想していた通りだが)、新人君は患者さんの生活場面を何一つみていないことが発覚。
新人君のなかで、患者さんは「セラピ-の時間だけの患者さん」しかみていないことになる。
これでは、行き詰まるにきまっている。
患者さんのことみていないんだもの。
専門的なことを勉強したりすると、かえってそんな単純なことが出来なくなってしまうのだろうか・・・。
一度、専門家の眼鏡をはずして、素人の自分が観た患者さんを感じる必要がある。
「なんか食べづらそうだね」「痛そうだね」
と・・・
そこから、専門家として動員したらいいと思う。
勉強した知識なりがあるんだから、そこから手助けのキッカケを作ればいいと思う。
専門家でありながら、「何をしていいか分からない」ということは、言ってはいけない。
素人でも、なにか手を差し伸べることは出来るんだからさ。
・・・ということで、セラピー時間以外の患者さんを見に行きなさいということで、病室に行くように支持した。
「こんな時間に行ってもいいんですか?」
まだ遅い時間ではないし、患者さん喜ばれると思うよ!
病棟に消える新人君の後ろ姿を見送って、病院を後にした。
何かつかめるといいのだが。
これが「臨床」だと思う。
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