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女の子が死んだ

女の子が死んだ.

彼女は,主治医の診断を遥かに裏切り,長生きし,無理だと言われた小学生をむかえる事が出来た.

が,それは長くは続かなかった.

神様には,「ありがとう」と言うべきなのか「くそくらえ」というべきなのか,答えは見つからない.

女の子に付けられた診断名は,脳幹部の腫瘍.

リハビリオーダーは僕に出された・・・

脳幹は脳みその付け根にあって「いのちの座」といわれ生命を司る大切な場所.
呼吸や心臓の活動,体温調節など,いのちにかかわる200gの場所.

女の子の脳幹には腫瘍ができていた.

若いと腫瘍の発達も早く,日々彼女の身体状況は様相を変える.

リハビリの中止は時間の問題でもあった.

女の子が僕にかけた最後の言葉は

「できないもん」

だった・・・

運動を強要したワケではない.
女の子は,自分の身体に起こっている事を理解していたのではないか?

女の子の霊にいまも悩まされる.

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理学療法士として職を得ているが・・・

病院というところは,過酷な場所だ.

「割り切り」が出来ない限り,並大抵の精神ではついていけない.

同じ理学療法士・作業療法士でも9時ー5時で平気に仕事を終える人たちが,うらやましく思える時もある.

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「病院は患者さんが回復していく所でもあり,死ぬ所でもある.」

恩師の紹介してくれた言葉だ.

良い面もあるが,本当に過酷な職場でもある.

理学療法士になって,いくつもの障害や死にも遭遇して,僕は克服できていたつもりでいた.
人が死んだり,障害を持つ事を.

障害や死を受け入れられる人間だと思っていた.
それは,病院に勤める「専門職」といわれる人間には必要なことだと思っていた.

平気で理学療法を行なえている筈だった.

だが,
医療従事者はなんて辛いんだ!
克服なんて出来る分けない!

人が死んだり障害を持ったりする事に平気でいられる筈がないのだ!

「できないもん」

ってことばを残した女の子に,何が出来たのだろう?

リハビリが終了になって,家で過ごして,再入院して,死を迎える女の子に,何が出来たんだろう?

夜中に目が覚めて,女の子の事を思い出してしまう.
女の子の亡霊は,いつだって僕の前に現れる.

「できないもん」って言った最後の言葉も.初回の理学療法の時に病院のプレイルームで遊んだ事も,まだまだ走れる時に「転ぶなよ~」って声かけた事も・・・全部思い出してしまう!
そういえば病院で迎えた誕生日に買ってもらったのは,パンを作れるパステルカラーの粘土細工のようなものだったね.

彼女が天国にいるならば,教えてほしい.
僕が何をすればよかったのか,教えてほしい.

教えてほしい.

こんなこと,本当に克服できるのか?
僕の人生で遭遇する,一症例なのか?

病院って過酷だ.
そういう意味では,僕には理学療法士は向いていないのかもしれない.

コメント

  1. モリ より:

    何年経っても・・
    その女の子のことを忘れないでいて欲しいです

    そして辛いけれど、「自分に何ができたんだろう」と

    感じられる心を持ち続けて欲しいです

    そんな理学療法士さんがたった一人でも傍にいてくれたら

    患者さんは必ず救われると思います

  2. kazz より:

    >モリさん
    ありがとうございます.

    きっと忘れる事はないと思います.

    この辛さは,理学療法士であろうと無かろうと,ずっと背負い続けていくのだと思います.

    女の子の魂が報われますように.

  3. rink0 より:

    私も同じ・・・
    KAZZさんと同じような思いを何度も経験してきました。

    人の死に対して、慣れるなんて絶対ムリ!

    毎回、自分の無力さを感じてしまうけれど、ほんの一瞬でも、私に向けてくれた笑顔や「ありがとう」の言葉を思い出して、その人の人生に少しでも関われたことに感謝しています(*^_^*)

  4. kazz より:

    >私も同じ・・・
    コメントありがとうございます!

    自分の医療行為が

    後悔すべきことではないと思っても,何とも言いようのないモヤモヤに包まれる事もあります.

    何なんでしょうね?

    でも,rink0さんのいわれるとおり,「感謝」して前に進みたいと思います.

  5. ひらかな より:

    病院
    残酷な場所なんですか?

    知らなかった。。。

    なんだか悲しいですね。そう言ってしまうと。

    私は、みんなが頑張る場所だと思います。

    一人の人のためを思って

    最大限に頑張る。

    持つ知識の差や技術の差はありますが

    全員がそれぞれ一人のために頑張る場だと思います。

    死んでしまうことが残酷なのではなく、

    死んでしまった彼女が悲惨だったわけではないのでは

    ないでしょうか?

    “『死』に慣れる事は一生ない。

    でも、死を受け入れることにはなれました。”

    これは私の、昔出会った大好きな看護師さんの言葉です。

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