被災地での救護班の活動を終えて帰ってきたときのこと
翌日は、休暇も取らずすぐさま勤務だった。
いろんな人が心配してくれたが、自分では大丈夫と思っていた。
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救護班活動では、様々なストレスがある。
決まりきった仕事がない。
臨床の場でもそれは同じなのだが、
なれない土地での仕事は、自由が利かない感じもある。
もっとしたいことやできたことがあるはずだと、悔しい思いをする人もあると思う。
被災地ならではの危険性の中で、勇み足を止める勇気も必要になることもある。
生活全般も不安がつきまとう。
衣食住すべてにおいて、不安定。もっとも、被災地の方はそれをずっとつづけられている。
「救護者も隠れた被災者」だという表現がある。
被災地の中に「救護」というかたちで入り込みながら、自分たちも同様の生活をするのだから。
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それでも、「救護者」なるものは、数日で現地を離れる。
開放感がないわけではない、ただし、心はしばらく被災地に縛られることになる。
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病院に戻ってから、通常業務の中で
患者さんと廊下を歩いていると、ドクターが向こうからやってこられた。
神経内科のドクターで、僕たちより前に救護班として現地に向かわれた方だ。
僕を見るなり
「おつかれさまでした。」
と丁寧に声をかけてくれた。
言葉は少ないが、非常にありがたいものだった。
そして、ドクターが僕の横を通り過ぎるとき、
僕の背中に、ポンッと手を当ててくれた。
慈愛というのか、共感というのか労いというのか
とにかく深いもので
それが何とも言えない安らぎを与えてくれた。
すべてわかってもらっているような。
「大変だったね。」「おつかれさま。」「わかっているよ」・・・
そういったような、感触がポンッという背中のタッチから一気に僕の中に流入してきた感じだった。
一瞬のコンタクトだったんだけども
心の中にこみ上げるものがあった。
僕は救いを求めていたわけではないけども、そのとき、なぜだか言いようのない安らぎとともに、救われた感じがした。
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そういったことが、医療に必要なんだと感じた。
医療の根源はこういったところにあって、治療の根源もこういったところにあるんだと。
よい経験をさせてもらった。
今度は、僕が目の前の患者さんにそれを与えることができればと、そう思った。
参考
KAZZ BLOG「タクティールケア」(2010年11月11日)
KAZZ BLOG「救急リハビリ」(2010年10月06日)
KAZZ BLOG「コドウ」(2010年05月18日)
コメント
そのドクターは
F先生ですか~?
なんだかそんな気がしました。
re:そのドクターは
>みりさん
その通りです!
尊敬する先生なんです!
Unknown
やっぱりでしたか~。
おひげがなくなっていたので、被災地に行かれたのかなと想像してました。
本当に包み込むようなドクターですよね。
>みりさん
コメントありがとうございます。
知りませんでしたっ!!
おひげがなくなっていますか?!
僕がお会いしたときには、マスクを装着されていたので分かりませんでしたが・・・
松江赤十字病院ブログの、帰還時の写真を見ると、まだ髭はあるようです。
http://bit.ly/fgvr2j
ちなみに出発の時は・・・
↓
http://bit.ly/fNX7J1