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爽やかさ

『私は志願兵でしてね・・・』

と、患者さん。

戦後64年も経過して、なおもこの日本を支え続ける方々がおられる。

なにも、兵隊さんだけが日本を支えてこられたワケではなく、その時代を生きぬいた全ての方々が、今の日本を守ってこられたと思う。

兵隊さんに関しては、特に直接的に闘われただけに、日本を守る人たちの象徴として、特にそう感じることが多い。

戦時を過ごされた(戦われた)おじいさん、おばあさんの御年はかなりになる。

理学療法士というものはリハビリにかかわる職種だけど、そういった方々に出会う機会の多い職業であると、あらためて考える。

おじいさんは続けて、真面目な顔をして言われる。

『逆みたいだけど、あの頃は良かったですよ。』

と・・・

この『逆みたいだけど』が、何にかかっているかは、明言されなかった。

しかし、勝手におじいさんのお気持ちを忖度すると

おそらく

・物質的な裕福さでは『逆みたいだけど』
・一般的に戦時は辛いように言われ『逆みたいだけど』

ということなんだと思う。

先日、
上坂冬子さんの本(鶴見俊輔さんとの対談本)を読んだ。

そのなかで、上坂冬子さんのこんな印象的な話があった。
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・・・つまり、私はまじめに生きていれば誰でも軍国少女にならざるを得ない時代に生まれ育ちました。いえ、嫌な時代に育ったとは思いません。それどころか、わたしはいまでも戦争時代を思い出すと、何かしら一種の爽やかな感情を払いきれないんですよ。迷わずまっすぐを向いて、お国のために「欲しがりません勝つまでは」と一生懸命に生きていた少女時代は、私にとってどこか爽やかな思いが否定できないの。
 いま日本では戦争を知らない人が八割になったそうですが、知らない人たちが気楽に「戦争は惨めで辛く悲惨で、二度と嫌だ」と言うのを聞くと「ちょっと待ってよ。戦争ってそんな単純なもんじゃありません。私の個々とに残っている爽やかなともいうべき思い出の部分を簡単に見落としてしまうと、戦争とか戦時体制を性格に掴むことはできませんよ。」といいたくなるんです。悪いけど。
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上村冬子さんは改憲派の方なんだけど、この話に対して、護憲派の鶴見俊輔さんも、「別に悪くないです」として、「私もその爽やかさを感じた。」と答えておられる。

『爽やかさ』

おじいさんの語った「逆みたいだけど」は、この「爽やかさ」にあるんだと思う。

目の前の患者さんが、勇敢に戦って日本を守ろうとしたことを考えると、自分(僕)自身のふがいなさを切に感じる。

先人達が、時に命を賭してさえも守ってきた日本はとても尊いと思う。

こんな若輩者の僕に対しても、切々と丁寧語で戦時のことを語りかけられるおじいさんの姿をみて、とても誇り高いものを感じた。

対論・異色昭和史 (PHP新書)
鶴見 俊輔 上坂 冬子
PHP研究所

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