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みなさま、おめでとうございます。

日本では江戸時代から、『ぽきい』なる菓子を手に家族とともに時間を過ごす日となっているということだ。

僕もそういった伝統にならって、『ぽきい』を購入した。

残念ながら仕事があって家で過ごすことはできなかったのだけども、深夜に、こんびいにえんす店に行って、『ぽきい』を手に入れた。

なるほど、見れば見るほど『ぽきい』は『一』にふさわしい。

『一』というのは『ある』ということだ。

零と一との間は、わずかな差しかないように思えるのだけれども、『無と有との間』ととらえれば、そこには考えられないほどの大きな差があるのだと思い知らされる。

「経験」
というのもそうだ。

「経験しないこと」と「一回でも経験したことがある」との間には信じられない差がある。

必ずしも、
「ある」=「良い」
だとか
「経験」=「良い」
という意味ではない。

経験してしまったことは、もう後には引き戻れない。
経験する前には戻れないのだ。

良い経験にせよ、そうでない経験にせよ
もう、経験する前には戻れないのだ。

なので初心というのを大切にする。
宝のようにする。
良くも悪くも「経験した」「経験してしまった」後に、その経験やその意味をしっかりと思い起こす・・・

時間の流れも大切にする。
何らかの単位で一つ時間を刻むということは、そこには無限の広がりがあるということなのだ。

一秒「刻む」
一歩「進む」
一個「つくる」
一人「生まれる」

そこには無限の広がりを持った何かが「ある」という状態をつくる。

『ぽきい』の日

そういう深い深い意味を持っているということだろう。

コメント

  1. まる より:

    Unknown
    0と1の間。
    無と有の間。

    哲学的ですなぁ~。

    ポッキーから、そこに行くとは(笑)

    この前は、大量の返信ありがとうございます\(^o^)/

  2. kazz より:

    >まるさん
    ありがとうございます!
    結局、ポッキーの日に関わらずポッキー食べますね!

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