織り姫と
彦星は
年に一度だけ逢えるという。
せつない話なんだ。
ふたりは、この日まで絶望の中で過ごすのではなくて、希望を抱いているんだろう。
そして、また次の出会いを誓うんだ。
今日は七夕
旧暦では
8月6日となる。
旧暦というのは明治5年(1872)まで用いられていた太陰太陽暦で、現在では使われていない。
たなばたの なかうどなれや 宵の月
と詠んだのは、江戸初期の歌人、松永貞徳(まつながていとく)。
残念ながら、今日は月も星も隠れている。
でも、雲の向こうには燦然と輝いていることだろう。
雲の向こうに織り姫と彦星の出会いを想うというのも好いものではないか。
2人の出会い夢見たあげく、
現代技術は、めざましい発展を遂げた。
つまり、24時間365日、離れていても近くにいるような技術を手にしつつある。
けれどもそうやって、いくら手段が増え、巧妙になったところで。
心がどれだけ通うようになったかといえば、むしろ逆になってしまっている。
いっそのこと手段がない方がよかったのではないかと考えてしまう時もある。
『出会えない』ことよりも、『出会おうと思えばいつでも出会える』ことの方が2人の距離を引き離してしまっていることもある。
敷島の大和の国に人ふたりありとし思はば何かなげかむ
万葉集の詠み人知らずなのだが
ふたつの解釈ができるという。
少し端折らしてもらうが
『この広い大和の国に、あなたとふたりでいることができれば、なにも嘆くことはないのに。』
『この広い大和の国に、あなたのような人がふたりいるとすれば、なにも嘆くことはないのに。』
ふたつとも、仮定の話しなんだ。
つまり、現実にはそんなことない。
だからそれを強く希望して夢想しているのだ。
あなたとふたりでいることができない
あなたはただ一人しかいない
そういう哀しい歌だ。
哀しいと同時に、ふたりの強いつながりを感じるではないか。
近代技術というものはふたりの距離も時間も縮めた。
けれども、やはりふたりは離れたままで、いつになっても、通うのは年に一度のままなのだ。
あの雲の向こうに、そうやってふたりが寄り添うのだよ。
だから
短冊にはね
【あなたの願いが叶いますように】
と、そう書いておくのだよ。
コメント