リハビリ連休

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僕はリハビリの技術者

■理学療法士(PT:physical therapist:フィジカルセラピスト)

として病院に勤務している.

薬物治療や手術のみでは,患者さんの身体の回復を促すことは困難で,また人院(ベッド上)生活による身体の衰えをそれらのみで防ぐことはできない.

で,患者さんの自然治癒力を高めるべく,我々セラピストが生活上の工夫をする.

まだ理学療法などが広まる前には看護師さん達が病棟内でいろんな工夫をされていたのだと思う.
活動性の低下を防ぐように散歩の機会をつくったり,手作業を教えたり,関節が固まらないようにお手伝いをして動かしたり,不自由な身体でどのように動いたら良いかを指導したり・・・

こういったコトをしないと,患者さんが病院で衰弱してしまうということもあり得る.

「手術はうまくいったけど,寝たきりになった」なんて馬鹿げた話もあるくらいだ!

また,最近では,手術方法や薬の開発・発展により,手術をしても臥床期間(安静期間)を長くとることなく,より早期から運動が行なえるようになっている.

リハビリの重要性も叫ばれ,我々専門家によるリハビリ治療も365日で行なっているところもある.
(ちなみに,コレには賛否両論もある.僕の職場は週6日態勢で理学療法を患者さんに提供している)

さて,某大病院セラピストの話・・・

この盆休み(夏休み)で,リハビリ5連休とのこと.

(-”-;)ウーム

この間,患者さんはリハビリの面ではほったらかしになる.

例えば手術を終えた患者さんはそのまま5日間リハビリの機会が無いまま,ほったらかしになる・・・
もちろん病棟看護師さんによるアプローチはあるの"かも"しれないが・・・

この状況に,その病院のセラピストも不満があるようだが...

さて,この状況をそのままにしているのは誰だろうか?

病院運営者?医者?看護師?セラピスト?患者さん?

5連休が許可される(というより押し付けられている)ということは,リハビリは病院トータルで考えてソコまで必要とされていなくて,リハビリスタッフもその重要性を訴え切れていない状況だということだと思う.

悲しいことに,患者さんの声も苦情として出ないのだろうか・・・?
(というか,患者さんも病院に運ばれて訳が分からないままだろうから,リハビリにまで気がまわらないのかも・・・)
医師や看護師もリハビリの重要性を訴えていない?
病院の運営面を考えた上でも,「しなくても良い(しない方が良い)」という判断がなされている?

大きな病院では,リハビリは軽視されることがある(と思う).
「リハビリなんてのは転院/退院してからじっくりやるもの」
「リハビリがあるからこそ,無駄に入院期間が延びてしまう」
「マッサージ屋さんでしょ?」
こういった見方をされているところもあるよう.

こういった状況では,いくら「休日でもセラピーしまっせ!」と声を挙げたところで,無視されるだけだろう.
あるいは,「いや・・・人件費がもったいないので休んどいて」とかさ・・・

ウチの病院は,幸いなことに医師がマジメに作り上げたリハビリ課だった.
「ついでのリハビリ」ではないし,リハビリ(セラピー)をすることで入院期間が短くなることや,機能回復が図られたこと,経営面にも貢献できであろうことも示せていたと思う(数値化できたかは?だが・・・).

僕の実感として
「リハビリ(セラピー)すれば患者さんのためになる」

この単純なことを深く突き止めていきたい.
やってもやらんでもいいようなセラピーはしたくない.

(つづく)

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この記事へのコメント

  1. Unknown
    同感です。
    あってもなくてもいい仕事なら
    PTという仕事自体が医療から淘汰されるでしょうね
    それを感じながら仕事をしているセラピストが
    何人いるのでしょうか。
    前進のみですね!

  2. ありがとう!
    賛同ありがとう!
    (;_;)アリガトー!

    5連休セラピストも,悠々と休暇を取っている訳ではなくて,病院の態勢と戦っているらしい!

    頑張って僕らセラピストの活動が意味があって患者さんの助けになることを,訴えてもらいたいね!

    前進のみさっ!
    患者さんを救え!

  3. 初心を・・・
    Kazzさんの思いを読むたびに新鮮な気持ちにさせられ嬉しく思います。ただ、物事には、違った側面から見るとまるで違った印象をもつことがしばしばあります。同じものなのに・・・不思議なものですねぇ。

  4. 如是我聞
    グラディエーターさんこんにちは!
    訪問ありがとうございます!

    批判ではなくて,僕のひねくれた一面を紹介します(笑)!

    違った側面からみたものは,やはり違っているのだと思うのです.
    ただ,違うものをみても「同じ」と思うように仕組まれているような気がします.

    体験者,観測者,環境,時間,文脈・・・
    それらを考慮すると,物事は「同じ」と思うように仕組まれた「違うもの」の気がします.

    仏典はこう始まります.
    「如是我聞(ニョゼガモン)・・・」
    これは「是の如く我聞けり(カクノゴトクワレキケリ)」・・・つまり,「私はこう聞いたんだ」ということです.

    僕が仏教を好きな理由がここにあります.
    「私はこう聞いた」と,主体が「私」にあるということ・・・.

    これがキリスト教・・・つまり聖書になるとこう始まります.
    「主いわく・・・」

    主体は「主」です.

    物事をとらえることというが,どういう事か・・・を考えると,今の僕は,主体を「私」に置きたいと思っています.

    物事の真実は何処かにあるにせよ,「私」がいま遭遇している世界こそ物事の一部だと感じることが,「私」にとっての物事です.

    鳥瞰図的な見方は不器用だからできない・・・それは神様とか仏様が把握しておられるので十分です(あと鳥もか・・・).

    自分の外に気を置けない僕は,
    I think, therefore I am.
    (我想う,故に我あり:ルネ・デカルト「方法序説」)

    「私」がここにあるという是が出発点になります.

    なので,グラディエーターさんには
    「不思議なものですねぇ。」
    が,僕には
    「当然ですよねぇ」
    になってしまいます・・・

    これこそ,
    「違った側面から見るとまるで違った印象をもつことがしばしばあります。」
    ですね!

    今回はコメントありがとうございました!
    いろいろ考えるいい機会になりました!
    またいろいろ書いていきますので,ご訪問&コメントよろしくお願いします!

    ※コメントの返答を書いたら,長くなりすぎたので今日の記事にしました!
    (失礼しました)

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