組織の目標
ありがちな話
その組織が掲げる目標が
- 働きやすい職場
- 意見が言いやすい職場
- 協調的(仲の良い)職場
というようなものだったとしよう。
これらは確かに大切な項目ではあるけれど、それは目標というより手段ではないか?
その組織は何を成し遂げるのか?
ここがまったく抜け落ちてしまっている。
その組織が
働きやすく、意見が言いやすく、協調的だとして
何をすべきか?
考えているのだろうか?
しかし、先にあげたような曖昧な、緩やかな、優しさに満ちた目標といわれるものに対して、
「果たして、これは目標足りうるのか?」
と意見すれば
ナントナク
働きにくさを生み
ナントナク
意見が言いにくいと感じさせ
ナントナク
非協調な感じを生む
・・・のだろう
平和主義者が戦争を起こすように
協調論者が反対意見を排除するように
そのように社会は形成されているのかもしれない
矜持を捨て
ワガママなまま育ち
なんでも手に入れられた世代が
「犠牲」や「代償」のない世界に生きたいという
そんな夢物語のような世界を否定したいわけではない
なんというか
もう、相手にしたくない・・・という感じだ
三島由紀夫風に言えば、
それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。
参考:三島由紀夫「果たし得てゐない約束――私の中の二十五年」
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。
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