ほんと、4年も経ったんだね。
東日本大震災
当時の僕は、
震災を職場(急性期病院)の患者さんから聞いて知った。
とんでも無いことが起きているということで、病院内がざわついていた。
この日は副院長の送別会もあって、その会もなんとも言えない雰囲気が漂っていた。
病院からは即座にDMAT(Disaster Medical Assistance Team;災害派遣医療チーム)が出発していた。
僕はリハビリ職種の専門家として、そして赤十字の一員として、いつでも行けるように心構えをしていた。
が、
数日経ってもリハビリ部門には音沙汰なしだし、理学療法士協会の動きも遅々としたものに感じて、ソワソワした日を過ごしていたのを記憶している。
僕が理学療法士としてできることは何だろう?
と考えたりした。
身体的な問題に対する理学療法技術と環境調整、生活指導など。
対象は
■災害により現在リハを必要としている人
■いま発症してリハを必要とする人
■いままでリハを必要としていた人
■災害派遣のチームへのリラクセーションなどサービス
だろうか。
そこに住んでいた人という意味での被災者。そして、救済に向かった人たちも同時に被災者となる。
そういう人に対する救済(救済者に対する救済)も考えないといけないと思った。
僕は理学療法士としてではなく、主事(事務)という形で現地に向かわせてもらった。
・・・理学療法士としての要請がなかったのだ。
その頃は派遣される主事の人員が削減されていたこともあいまって、そこに無理やり参加させてもらったのだ。
主事でもいい。理学療法士の目をもって現地を見てきたい。
そうすれば何が必要かもわかるのではないか?そんな思いだった。
医師(1名)・薬剤師(1名) ・看護師(3名)・主事(2名)の7名で現地へ向かったんだ。
まったくもって4年経ったのが信じられないくらい、いろいろと思い出す。
僕の救護班の活動は
4月7日~11日
帰ってきた日はちょうど被災1ヶ月目という時期だ。
当時の様子はこのブログでも書いた。
■KAZZ BLOG「救護班」(2011年04月05日)
■KAZZ BLOG「理学療法士(主事)」(2011年04月06日)
■KAZZ BLOG「救護班(1)」(2011年04月07日)
■KAZZ BLOG「救護班(1-2)」(2011年04月08日)
■KAZZ BLOG「救護班(2)」(2011年04月08日)
■KAZZ BLOG「救護班(2-2)」(2011年04月08日)
■KAZZ BLOG「救護班(2-3)」(2011年04月08日)
■KAZZ BLOG「救護班(3-1)」(2011年04月09日)
■KAZZ BLOG「救護班(4-1)」(2011年04月10日)
■KAZZ BLOG「救護班(5-1)」(2011年04月11日)
■KAZZ BLOG「救護班(5-2)」(2011年04月11日)
救護班も多くの人たちに支えられて活動ができた。
この時期はローラー作戦というのが展開されていたのは、後になって知った。
振り返ることで、自分たちががむしゃらにしていた活動の意味も知ることができた。
3.11はまだ終わらない。
遠く東北の地ではなくて、いまここにあることとして、思い起こし考えていきたい。
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