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救護班(2-3)

救護班

昼になって、やっと用務地へ行くことが許可された。

雄勝町大須(おがつちょうおおす)

赤十字も、まだ、しっかりと調査が行われておらず、道路状況や現地のニーズも把握できていないということだった。

僕らは、診療とともに調査の仕事がメインになるだろうということだった。

僕ら7人のチームは、2台の車で現地へ向かった。

北上川を海の方へ向かう。
被害の大きい地域で、あたりの風景に息が詰まる。

そして、雄勝町

突如として信じられない風景が目の前に広がった。
これまで見てきたよりも、さらに酷い光景で、僕たちの車は自衛隊によってかろうじて作られた道の中をすべらせる形だった。
今日の午前にみた日和山公園からの風景も衝撃的だったけども、実際に町(であったろう)の中を通り抜けると、より実感として震災をつかめた気がした。

上下左右のない状態で、あらゆるものが散在している。
家の上に、バスや家が乗っていたり、屋根を逆さにした家があったり、道にせり出した船、崖の斜面に洗濯機があったり、そこかしこに衣類が散らかっている。

これが世の中に存在する風景なのかと戸惑った。
そして、何よりも、多くの方の無事を祈らずにおられなかった。

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一度、雄勝町の庁舎にある、仮設の災害対策本部に足を運び、指示をいただいた。
向かったのは、避難所になっている小学校

既に、NPOと自衛隊によって、診療ははじめられており、カルテが存在することから赤十字もきたことないワケではないようだった。

学校につくと、校長先生のお話を聞いた。

とにかく、医師にいてもらいたいというのが、校長先生の強調されたところだった。

僕たちは本来、また、石巻市に戻る予定であった。
主な用務は調査であったけども、現場のニーズとしては、医療チームにいてもらいたいということだった。

僕たちはよい決断を下せたと思う。

ここに留まることにした。
ここに宿をして診療を行う。地区の調査も計画する。

災害対策本部と現場を往復するだけで3時間程度かかる。
そこに労力を使うよりも、ここに留まり、診療にあたる方がよい。

「現場は流動的」と言われたが、本部の指示に従い行動するだけはなくて、自分たちが現場で判断し切り開くことが必要だと感じた。臨機応変に現場を流動させる必要がある。

災害対策本部の許可もいただき、今夜はここに泊まることが決まった。
班長である医師は、本部への連絡がある。今日の宿泊や明日からの診療必要な資材が必要なので、看護師さんたちは残して、また石巻市に戻ることにした。

再度、小学校に戻ってきたのは20時半
宿の準備を整え、明日以降のミーティングを行った。

その後、看護師さんが用意してくれた食事をとり、報告会を行い本日は終了。

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まだまだ、断続的に余震を感じる。
昨日の余震が数日前のように感じる。

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