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映画:ヴィヨンの妻

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さて今日は、

映画「ヴィヨンの妻」

を鑑にいった。MOVIX日吉津

以下、チョイネタバレ。

小説の映画化は、不安だ。
多くは原作の小説よりも劣るから。

ただ、この映画「ヴィヨンの妻」は小説「ヴィヨンの妻」を映画化したというよりも、小説「ヴィヨンの妻」を中心に、太宰作品を描いたと言っても良いと思う。

映像も流れもとても良かった。
退廃的な雰囲気が常に流れていて、太宰作品の映画化にとてもよくあっていたと思う。

男と女は間逆なんだ。

生きること、愛について、全くの真逆が隣り合う。

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愛など信じたら、
すべてが消えてしまうと、
男は恐れている。
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全てを失った後に、
残るのが愛だと
女は知っている。
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愛こそ人間の枢軸なるもの。

人間の前提なるもの。

そう信じればこそ、夫は恐怖する。
前提をなくしたら、存在のよりどころが亡くなるから。

そう信じればこそ、妻は強くなる。
前提があれば、存在のよりどころになるから。

だから愛を信じたくない夫と
だから愛を信じ尽くす妻と

どうせ愛は壊れると思っている夫と
それでも愛は壊れないと思っている妻と

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『私たちは、生きていさえすればいいのよ。』

映画の最後に、妻佐知(サチ)が言うコトバ。
これに夫が頷くシーンで終わる。

この言葉も、佐知と夫は同感している。

しかし、

『生きる』

ということを真逆にとらえている二人だ。

『生きていさえすればいい』

の続きに各々が想うことも真逆だと想う。

妻はこう考えるだろう。
『生きていさえすればいい。そのなかで幸せを感じることができるから、生きていさえすればいい・・・』

夫はどう考えるか
『生きていさえすればいい。死ねなければ、死ぬまでは生きていさえすればいい・・・』

こうではないだろうか?
どのみち、二人にとって、救いとなり、道となるコトバなのかもしれないが。

どうしても、主人公に太宰を重ねてしまう。

女や酒に逃げて、身を滅ぼしても、周りにいる人間を破滅させるようなことしても、決して破天荒とは思わない。

破天荒を装っているのだ。

純粋であればこそ、不純を行う。
不純を行っても純粋な自分が残っているかを確かめるように・・・

彼は純粋なのだと思う。

純粋さ故に孤独に生き、神を試しているんだと思う。

この映画は、太宰の「ヴィヨンの妻」、「思い出」、「灯篭」、「姥捨」、「きりぎりす」、「桜桃」、「二十世紀旗手」などの作品をもとに、田中陽造が、シナリオを書き下ろしたもの・・・とされてる。

ただ、気になったことがある。

佐知が夫に向けて答えた言葉の中に

「世間から抹殺されます」

というコトバがあった。

おや?
と思った。

これは、原作「ヴィヨンの妻」にはないコトバ。
つけ加えられたものだ。
それも、「人間失格」のワンシーンのよう。

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「人間失格」より

「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」

世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、
「世間というのは、君じゃないか」

という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)
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「世間」というコトバが妻の口から出てきた。

世間とは妻そのもの?
(そう受け取る、夫?)
夫は妻に抹殺される?
最も信じている妻に、抹殺される?

『タンポポの花一輪の信頼が欲しくて、チサの葉いちまいのなぐさめが欲しくて、一生を棒に振った。』
↑「二十世紀旗手」より。

いろいろ、考えられる小説&映画だ。
もう一度、「ヴィヨンの妻」、「思い出」、「灯篭」、「姥捨」、「きりぎりす」、「桜桃」、「二十世紀旗手」など読んでから、またこの映画をみてみたいな。

ちなみに、
「ヴィヨンの妻」の終末のコトバは、
『私たちは、生きていさえすればいいのよ。』

「人間失格」の終末のコトバは、
『ただ、一さいは過ぎて行きます。』

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参考

KAZZ BLOG「小説:ヴィヨンの妻」(2009年10月19日)
KAZZ BLOG「晩年」(2009年02月05日)
KAZZ BLOG「人間、失格」(2009年01月29日)

コメント

  1. 虎犇秘宝館 より:

    人間失格

    ライム氏は最後に僕の健康診断結果を開くと、見る見る顔を曇らせた。「一年間で7キロ増?」二人の男と三人の女が僕の体を一瞥した。「え、ええ、ちょっと肥っちゃいました」「肝臓の数値もひどい・・・飲み過ぎですな。尿酸値も高い。血圧も!」男の一人が舌打ちをした。…

  2. ヴィヨンの妻

    1月13日 八戸フォーラムにて鑑賞。
    ずいぶん昔、ある女性と話しをしていて、面白いと思ったことがあるのだが、彼女によると、世の中の映画やドラマというのは、男性の作り手が作っていることが多い。なので、そこに出て来る女性像が、多くの場合、嘘っぽくて女性の本…

  3. しんいちろう より:

    はじめまして
    トラックバックさせていただきました。
    田中さんは、この映画の脚本を書く前に「人間失格」も書き上げており、その脚本からも本作にはだいぶ台詞を持ってきているそうです。
    私ももう一回太宰を読み直したくなりました。

  4. kazz より:

    re:はじめまして
    >しんいちろうさn
    はじめまして。
    ありがとうございます。

    そうなんですか。
    まさに、太宰治が描かれていたようなよい映画だったと思います。

    これを超える太宰映画は想像しがたいですね。

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