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猫と杓子と

文部科学省は平成3年に大学院生倍増の目標を打ち出した。

結果・・・
大学院生は増えた。

で?
( ̄Д ̄)

と言うことになった。

大学院生は増えたし、博士号を取得した人間も増えたろう。

が、
■就職した人間が増えたわけでもなく
■大学院生は、増えただけで「博士号」の質の低下を招いた。

オーバードクター(博士号取得者)の問題
猫も杓子も博士号になってしまった時代だ。

雑誌「Will(ウィル)」の8月号には厳しくこう書かれている。
『卒業論文で学会の第一線に立ち、衝撃(インパクト)を与え注目を浴びなかったものに学者の資格はない。それなのに、教授が大学院を担当したいために、歌舞伎町の呼び込み屋の如く、資質のない学生を博士課程に引き摺り込んだ結果がオーバードクターの氾濫となったのだ。』

WiLL (マンスリーウィル) 2009年 08月号 [雑誌]

ワック

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この記事は、雑誌『ワーキングプア時代』の記事(オーバードクターの就職難を解決せよ)の反論として書かれているので、かなり厳しく書かれているが、

僕も、10年前に理学療法士を養成する専門学校を卒業した。

卒業してから、しばらく経ち・・・
大学院へ入れるとの情報が入った。

大学をでなくとも、専門学校卒業でも大学院への道が開かれたのだ
知り合いにも大学院を終え博士号を得た理学療法士はいる。

話題になった。

が、
その思いは様々だ。
ただ資格として「博士号」をとりたかった輩も多分にいる。

何をしたい訳でもなく、「博士号」を取得したかっただけの理学療法士もいるし、
一生懸命に学を習い業を修めるために、骨削る思いで大学院にいった理学療法士もいる。

オイラは、凡百の理学療法士の一人として思うのは
「博士」であるからには「博士」であってもらいたいと思っている。

自身が「博士」として、何をしてきたか、何をすべきかに対して誇りを持ってもらいたいと思う。
「博士号の制度に飛びついた理学療法士、その実、何もできないでやんの」なんてことにならないようにしてもらいたい。

Willに書かれているように、『卒業論文で学会の第一線に立ち、衝撃(インパクト)を与え注目を浴びなかったものに学者の資格はない』
・・・とまで厳しくいかないまでも、「猫も杓子も博士でも」みたいにならないように期待している。

と同時に自分自信を振返ると、「専門学校」を卒業し理学療法士の国家資格を得た人間として何ができているか?

・・・反省すべき点は山ほどあることに気がつく。

理学療法士も同様に、歌舞伎町の呼び込み屋の如く学校の乱立が続き、入学者の定員割れや学校閉鎖の話もしばしば聞く。
理学療法士になるための門が大きく開かれたのと同時に、激烈な質低下は免れない。
「猫も杓子も理学療法士も」状態になっている。

では、その質低下した人の理学療法と自分の理学療法と、何が違うか・・・?

あ・・・証明できないや!
ガ━Σ(゜Д゜||;)━ン!!!

・・・なんてことで、日々の臨床を楽しんで10年経った凡百理学療法士は思う。

以上、
金と時間があったらノリで大学院に行っていたかもしれないkazzより(爆)。

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