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医学的な判断?

医師は「医学的な判断」のもと、おばぁちゃんに下腿切断を施行した。
おばぁちゃんはASO(閉塞性動脈硬化症)のため膝から下の切断を余儀なくされたのだ・・・

片足での生活。
おばあちゃんは、強い痛みを抱える脚に悩まされ、抑うつ的になっていた。

僕は、おばぁちゃんのベッド生活からの脱却を目指したかった。

切断した脚は・・・もちろん戻らないのだけど、両腕を鍛えることによって、体を十分に支えるだけの能力を身につけ、車いすを駆動する力も身についた。

そして、歩行・・・

体を支え、車いすを駆動する両腕の力は、松葉杖で体を支えステップするための力にもなる。

練習をかさねて、おばぁちゃんはベッドから車椅子やトイレに移ることができるようになって、松葉杖歩行も(見守りながら)20m以上できるようになった。

何よりも、笑顔が見られるようになってきた!
痛みを耐えて、しかめっ面していたおばあちゃんに、笑顔が戻ってきた!
もちろん、痛みはまだあるのだけれど、それでも活気を取り戻し、練習も十分にはかどってきた!
「リハビリに行くと気持ちがいいです」
てね!

でも・・・

ある日、おばぁちゃんがこう言った。

「松葉杖はもういいです。怖いから・・・」

おばぁちゃんがこう言ってきた理由はすぐにわかった。

「医学的判断」のもと看護師は、何度も説明していたらしい。

「松葉杖の練習をしても、将来は一人暮らしだから危ないですよ」
「装具を付けたとしても、断端(ダンタン:切断した端っこのこと)に傷がついて、また切断を繰り返すことになるかもしれませんよ」

これは・・・内容としては正しいのかもしれない。

・・・のだが
これ聞いて歩行練習する気がおこる?

今、実用的ではないにせよ、歩行を行うことは心身に対する活性化になると思う。

「歩ける」という能力自体が、(実用的ではないにせよ)生活機能を向上させることにもなると思う。

看護師の思考としては

「残念だけど、将来的にも歩ける可能性は低いんだから、そういった練習はやめて車椅子で生活するようにシフトしたらいい」

というものだろうが・・・

もし、僕たち急性期スタッフのこういった言動がオバァちゃんの歩行の可能性を踏みつぶしているとしたらどうだろうか?

『そんなことないでしょ~』

と、思うかもしれないが、(その昔)慢性期(←療養型)の病院にいた僕は何度も体験しているんだ!

「(急性期の)先生にはもう歩けないって言われたのに・・・」
といって、歩行機能を獲得した患者さん

「(急性期の)先生にはもう動かないって言われたのに・・・」
といって、麻痺した指を動かした患者さん

「(急性期の)先生には無駄だと言われたのに」
といって、義足をつけて歩いて喜んだ患者さん

よく、テレビでも「奇跡の復活」とか言って、取り上げられることがあるが、療養型にいた頃は、日常茶飯事とまではいかないものの、結構あった。

患者さん(や、そのご家族)は

「奇跡だ!先生に無理って言われたのに!」

と喜んでくれる。

これは、患者さんが評価するように、僕が凄腕セラピストだから・・・ではない(残念ながら・・・)

はっきり言って、急性期スタッフの誤った指導の賜物だと思う。
良くならないと言われていたものが、良くなったら誰だってうれしいだろう!

医師や看護師、セラピストの言葉はそれだけ患者さんにとっては重く響いているはずだ。
大きな希望になるときもあるし、あるときは死刑宣告にもなりうる。



おばぁちゃんの

「松葉杖はもういいです。怖いから・・・」

て言葉を聞いたとき、
おばぁちゃんの脚は、もう一度切断されたのだと思った。

医学的判断のもと
オバァちゃんの脚は2度切断されたんだ・・・

看護記録にはこういう内容が書いてあった。

『歩行練習を進める理学療法士の意見は、車椅子生活を考えている医師の意見と統一されておらず、患者さんに混乱を来す。』

この看護師は、おばぁちゃんの歩く姿を一度も見たことが無いくせにこんなことを書いていた。

・・・すでに、おばぁちゃんは獲得できるはずの松葉杖歩行を行わない方向で考えている。
実用的ではないし、怖いから・・・

でも、やらなきゃ実用的にはならないし、怖くなくならない。
義足だって、工夫をすればどうにかなるのかもしれない。

その可能性をばっさりと(医学的に)切断した、急性期医療スタッフの一員として、

僕に何ができるのだろうかと・・・

『元気に歩いているオバァちゃんの姿が見たかったぜ!』

って、腐っててもしょうがないしね。

コメント

  1. モリ より:

    Unknown
    下肢の切断後、自宅に帰られて
    歩行器で自由に歩いておられる利用者さんの担当をさせてもらっています

    今この利用者さんが歩けるのは、いつかは歩きたい!という気持ちが急性期病院で失われなかった事と
    両上肢の筋力が日々のリハビリにより十分にあったからだと思います

    わたしたちは患者さんがこんな生活がしたいという希望をできるだけ叶えられるために存在すると思います

    それに、患者の今後の生活を、医療従事者だけで
    判断しては絶対にいけないと思います

    患者さんにできるだけいろいろな情報を提供し
    一番良い方法を患者さんと一緒に選んでいくべきです

    急性期の病院は、その機能ゆえに仕方がないのかも
    しれませんが、人の生活に対する想像力が貧弱ですよね

    そんなか、あなたのような存在は嬉しいです
    頑張ってくださいね

  2. katomi より:

    Unknown
    kazzさん、こんにちは!

    私も理学療法士として働いています。

    このブログを読んで、悔しくもあり悲しくなりました。

    私たちセラピストはできるだけ患者様の希望に近づけるようにがんばるのが役目だと思ってます。

    それを他スタッフが患者様の希望を失くすような権限はないと思います。

    私も下腿切断の患者様を受け持ったことがあります。それも両足を失った患者様でした。

    その方は「もう一度歩きたい!」と強く願っていますた。

    ドクターからは義足の選択肢はなく、無理だと一点張りされたようなのです。

    ドクターの指示のもと動いている私たちはなんて力がないのだろうと思いました。

    でも、患者さんの希望や身体能力、断端の管理状態をできるだけ気をつけて行い「義足」の提案をしたのです。

    その患者様は監視レベルですが、杖なしで歩けるようになったのです。

    患者様のうれしそうに歩く姿は、私たちセラピストの喜びになりました。

    つくづく思うのです。

    確かに医学的判断大事だと思いますが、病気や怪我の状態だけで患者様を診ていないドクターや他スタッフに怒りをおぼえることは多々あります。

    もっと人をみてほしい。

    もっとセラピストの意見をきいてほしい。患者様をみてほしい。

    kazzさんのブログ、力になります。

    これからも頑張ってください!

  3. kazz より:

    >モリさん、katomiさん
    まずは・・・
    つたない長文を最後まで読んでいただいたことに感謝します(笑)!

    >モリさん

    コメントありがとうございます!
    「想像力が貧弱」
    ・・・残念ながらぴったりの言葉です。

    急性期医療って聞こえがいいですが、なんとなく今の目の前のことしか考えていない医療なので、往々にして役に立たないもので、リアルさにかけるものになってしまうのだと思います。

    その尻拭いが、後方病院だったり施設にかかわるスタッフにのしかかってくるんでしょうね・・・

    >katomiさん

    貴重な体験談ありがとうございます!
    こちらこそ、力になります。

    共感してくれている人がいるってうれしいです!

    これからもがんばります!

  4. グラディエーター より:

    本質
    賛否両論あるでしょうが、『理学療法士は、歩かせて何ぼの仕事だと思っています』

  5. kazz より:

    >グラディエーターさん
    たしかに、歩くことって根源的欲求に近いものがあるともいます。

    賛否両論ってオーカワヤヨイさんの極端な例のことですか(笑)?

  6. まいける より:

    Unknown
    看護師さんと意思、kazzさん、どっちの意見も理由はきちんとあるので納得は出来ます。
    でも、看護記録なんかを見て相手の意見を知るよりは、やっぱりチームとして話し合うべきだったのかなって思いますね。
    おばぁちゃんの歩行訓練はなくなってしまったんですか?
    歩く意思があるなら、それでおばぁちゃんが笑顔になれるなら、心のケアということも含めて、歩行訓練を続けて欲しいですね。
    偉そうなこと言ってごめんなさい!|)彡サッ

  7. kazz より:

    >まいけるさん
    こんにちは!お久しぶりです!
    率直な意見ありがとうございます。

    そうですね・・・
    チームで動くって重要だと思うのですが、「はじめっから治療方針をしっかりと決めて」・・・というよりは、「治療をやっていく中で、方向を見つけていく」という感じになっています。
    そういったなかで、やはり、みんなが集まって話し合い・・・ではなくて、意見があったときにそれぞれスタッフが話し合うような形になっています。
    現実、患者さんに関わるスタッフがその都度集まることは困難です・・・

    なので、看護記録は、もちろん事後です。
    その前に、スタッフ間でも話し合いはしていました。

    でも
    統一された方向性は持てていなかったのです。
    (それでは「話し合い」と言えないですね・・・「意見の言い合い」でしょうか)

    チームとしての理解は
    ・将来的に歩行獲得は困難
    ・歩行練習を行うことは必要
    というところでした。

    ただ、患者さんに対する説明に問題があったと思います。

    スタッフ側も
    「困難」いう語を「無理」とみるのか「希望」とみるのか・・・
    そういった意識の面で、大きな食い違いがあるのだなだと・・・

    おばぁちゃんは歩く意思はあるのですが、どこかあきらめが入っています。
    「もう歩けないから」という感じです。

    今は、「全身運動的に」という名目で平行棒内歩行を行っています。

    小さな灯火を消さないように・・・と、続けているという感じです。

    僕の評価としては、運動機能的に屋内見守り歩行(松葉杖使用)は獲得可能なレベルだと考えているので、後は、どうやってそっちに路線を持っていくかというところで勝負な感じがします。

    また、無理矢理急性期でそれを獲得できなくても、後方病院にバトンタッチして、どこかの時点でもやっていけるように望みを持っています。

    実は・・・義足も、こっそりリサーチ中だったりします!

  8. KAZZ BLOG より:

    続:医学的な判断?

    義足のおばあちゃんの話。
    つまり・・・
    下腿(膝から下)を切断して、術後早期より「歩行は悪い」だの「義足は危険」だのといった"教育"を看護師から受けて、歩行練習をやめてしまったおばあちゃんの話。(くわしくはコチラ)
    ・・・
    みんな喜べっ!
    結果から言うと…

  9. KAZZ BLOG より:

    お邪魔します!

    先日の学会。
    時間的な都合で、汽車ではなくて自家用車での移動だった。
    せっかくだから、患者さんのところにお見舞いにいくことにした。
    患者さんのところと言っても、ウチの入院患者さんではなくって(ゴメンッ!)、"元"入院患者さんの転院先の病院!
    義足のばぁ…

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