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僕らはみんな離散している

中学校のときだったか、衝撃を受けたことのひとつに、水棲微生物の映像があった。

人間が水の中を移動するには、泳ぐという行為がある。
あるいは、泳ぎが上手くなければ水の中にブクブクと沈むことになる。

僕が見た映像では、水の中に生きている微生物は泳ぐという状態ではなかった。
ゼリーの中をゴニョゴニョと潜っている感じだ。

なぜゼリーの中を移動している感じになるかといえば、微生物にとっては、水(水やその他の分子)は人間より感じるよりも相対的に大きくなり、相対的に粘性も増す。

だから、人間にとってはサラサラの液体でも、微生物にとってはドロドロの液体になるのだ。
あの映像は未だに忘れられない。

また、小学生の時には、光の速度は観測者の状態に関わらず一定であるという『光速度不変の法則』にも不思議を覚えたし、重力と加速度が同等に扱えるという『等価原理』のアイデアも素晴らしいと感じた。

これらは、NHKの番組を見て感激し、子供向けの相対性理論の本で読み取った。

また、
大人になって衝撃を受けたことのひとつに、

プランク時間
プランク距離

がある。

現代においては、時間の最小の値、空間の最小の値があることが分かっている。

ということで、
時間と空間の概念が変わってしまった。

それまで、時間や空間は連続性を持ったものとしての認識だったのだけども、最小単位があるということなので、その最小単位間はディジットに移動しているということになる。

ディジットというのは、数えられるものということだ。

統計や言語学でも扱う概念だけども、数えられるものと数えられないもの。
ディジットとは、そもそもラテン語のddigitusに由来するもので、指を意味する。

時間に流れがあり、空間に広がりがあるのだけども、もし、プランク的にプランク時間を一個一個並べたものであり、離散数として時間や空間の流れ・広がりが表される、という解釈が真であるか偽であるかはさておき、離散的なものであったとしたら面白いと感じる。
(この離散的な文章はわざとです)

つまり、僕らはひとつの時間とひとつの時間を飛んでいる、としよう。

体感としてはもちろん連続している。
何せプランク時間は
5.3912×10のマイナス44乗秒

そんな(体感はできないけども)ちいさな時間を一つ一つ飛び越えている、としたら生命とはなんだろうかと、思ってしまう。

不思議なことは多いけども、

インド人もびっくりだと思う。

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