『〝ほんもの〟の部下はいるか…彼の言う〝ほんもの〟の部下とは、管理される必要がなく、上司にいい仕事をさせ、部署全体をより高いレベルに引き上げるような部下だという。』(デイル・ドーテン「仕事は楽しいかね?2」より)
仕事は楽しいかね?2 | |
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自信を持って答えよう。
いますともっ!
職場には様々なスタッフがいる。
僕にも部下がいる。
部下を管理することは必要だけども、それは僕のコピーを作ることではないということに気がついたのは、はるか昔。
それぞれ、個性・特性がある。
程よく不満を持ち、程よく支援のの気持ちを持った人たちでいることを願う。
また、
職場に強い不満を地仕事をするスタッフもいる。
自身の中の正義を振り乱して、「あれが悪い」「これが悪い」と陰に陽に活動している人もいる。
しかし、考えてもらいたいのは、それが、最大のパフォーマンスを引き出すためのものなのか、同僚をこき下ろすためのものなのか、ということ。
時には、それが嫉妬の心から生じていることもあると感じる。
ここでいう嫉妬とは、立川談志師匠のいう「嫉妬」だ。
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己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。
一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。芸人なんぞそういう輩のかたまりみたいなもんだ。だがそんなことで状況は何も変わらない。
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これは、芸人に限らないと思う。
『だがそんなことで状況は何も変わらない。』
不満を吐き散らすことや、自身の正義を振りまくことと、職場のパフォーマンスを向上させることは、必ずしも一致しない。
時にそれらは、職場のパフォーマンスを下げ、ぎこちなくさせることにも繋がることになると思う。
不満を持った時に、どうすれば良いのか?
そんな時には、自身の中に、自分に対しての不満がないかと、自分自身を見つめ直すことが必要だと思う。
たとえば、怠けているスタッフに対して不満を持ってしまった時には、自分自身に怠けの心がないかを見つめてみるといいと思う。
本当は、そのスタフは怠けていないのかもしれず、むしろ、最大限の努力をしているのかもしれない。そういうことに気がつくことが大切なのだと思う。
スタッフ同士が、嫌悪の気持ちを持って接するのではなく、支援する気持ちで接することが必要だと思う。
ヘルマン・ヘッセの言葉を引用しよう。
『もしあなたが人を憎むなら、あなたは、あなた自身の一部でもある彼の中の何かを憎んでいるのだ。我々自身の一部でないようなものは、我々の心をかき乱さない。(If you hate a person, you hate something in him that is part of yourself. What isn’t part of ourselves doesn’t disturb us.)』
また、ユング(心理学者・精神医学者)の言葉にこういうのがある。
『人に対して感じるあらゆる苛立ちや不快感は、自分自身を理解するために役立つことがある。』
ニーチェの言葉も足す
『怪物と戦う者は、自分も怪物にならないよう注意せよ。深淵を覗き込むとき、深淵もまたお前を覗き込む。』
こういうことを頭の片隅にでも置いておくと、
あいつのここが悪い、あそこが悪いと論って、不満で1日を過ごすことはなくなるだろう。
冒頭の言葉にかえる。
『〝ほんもの〟の部下はいるか…彼の言う〝ほんもの〟の部下とは、管理される必要がなく、上司にいい仕事をさせ、部署全体をより高いレベルに引き上げるような部下だという。』(デイル・ドーテン「仕事は楽しいかね?2」より)
目的とするのは、自分と意見の合わないスタッフを退治することではなくて、職場のパフォーマンスを最大限に引き上げることだ。
僕自身が、良き部下となるように、行動していこうと思う。
参考
KAZZ BLOG『怒りと嫌悪と純粋性について』(2016年02月02日)
KAZZ BLOG『中堅セラピストの憤りを聞いて』(2015年05月21日)
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