病院宿泊の真相

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今日は病院宿泊となった。

今日は・・・
というか「昨日に引き続き今日も」なのだが。

そもそも、理学療法士には病院に泊まるほどの大量の業務が科せられているわけではない。

業務内のことをキッチリ真面目にしていたらば、おそらく18時あたりには病院を出ることも可能だ。
というか、勤務時間は16時50分までなので、それも可能。
経験年数も増えて、要領よく仕事を終えるすべも持っている。

後輩には、「終われと言われたら、その時間内に終えることができるよう、業務コントロール(ペース配分)が出来るように」と、指導している。

・・・
にもかかわらず、職場宿泊するまでになってしまっているのは

つまり・・・
「仕事していないから」にほかならない。

結構ダラダラと仕事を進め、本なんかを読んでいる。
おかいうと、「勉強して偉いなぁ!」なんて、褒めてくれる方もおられるが、そんなことはない。

ちなみに、この11年半の間に学会発表に取り組んだことは一度も無い。
この業績(?)を見ても、僕が如何に真面目でないかがわかるだろう。

それでも、僕が『一生懸命に何かを成し遂げようとしている』と疑わない人達もいる。

過大なる評価をいただき、有り難いことだが。

んで、
結局、僕が何をしたいのかと自分自身で勘案してみると

医療に触れていたい
医療現場に触れていたい

ということなんだと思う。

では、『医療』とは何かと考えてみると、これがまた、つかみ所がなくなるほどに社会化させられている代物で、「サービス」であったり、「商業」であったり、「エンターテイメント」であったりもする。

しかし、そのものは「医療」を外観した時に発生する、医療の副次的要素と言えるのだと思う。
「医療」は、「サービス」に利用され、「商業」に利用され、「エンターテイメント」に利用されている。

そこで、はやり、(僕の思う)医療を説明してくれるのは、ありきたりで申し訳ないが「art(アート)」ということになるんだと、思ったりする。

一般に「art(アート)」というと、「美術/芸術」を思い浮かべるが、「技術/技芸/技能/技法」とも訳せる。

この「art(アート)」はラテン語の「ars( アルス )」で、それがフランス語の「art( アール )」を経て、出来上がったと言われている(らしい)。

もともとは「つなぎ合わせる」「組み合わせ」という意味を持つコトバである。

つなぎ合わせて、組み合わせて、ヒトは芸術品を創り、技術を身につけた。
そして、「art(アート)」は、「腕」や「武器」を表す「arm(アーム)」と語の幹を同じくする。

日本語でも、技術や芸術の具合が良いことを「腕がいい!」とか「うできき!」とか言う。

「art(アート)」と「arm(アーム)」の関係、「芸術」や「技術」の関係・・・
そういった、「腕/技術」を内包した、広い意味での「art(アート)」を「医療」なんだと思っている。

別に、僕がいままで学会発表などを行わない理由には何一つならないが、そういうことを考えていて、病院図書館にこもっていたりして、最終列車に遅れるのだから、
僕が病院に宿泊せざるを得ないのは、医療のアートによるものだということになる。

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