ウチの職場の理学療法士(PT)は19名。
システム上、それを4班に分けて行動している。
(つまり一班が4~5名で構成されている)
僕はその一つの班の班長をさせていただいている。
情報を伝達したり、担当の患者さんを振り分けたり、まとめたり・・・そんな仕事だ。
先日、4年目の女子PTが言ってきた。
『難しいです。ちょっとできません』
・・・
何ができないかというと、担当の患者さんを決められた人数みながら、委員会活動を行うことが困難だというのだ。
時間的に配分が難しくなる・・・ということだと思う。
僕は、「できない」という発言についてはカチンとくる・・・
そういった習性だ。
だいたい、先輩に対して「忙しい」とか「できない」とか言うのは失礼にあたると思っている。
(という僕自身、かなりの無礼者だったりするけども・・・)
「忙しい」とか「できない」と言いたい場合にはそれなりの根拠が必要だと思う。
が、今回の場合、まず「できない」という言葉が先に来ていたと、そう感じた。
「できない」という言葉は、自分を貶める呪文だと思う。
その場で僕がカミナリを落とさなかった理由は、相手が女子だからだ。
で、女子PTが「できない」と言われた時に僕がどう返事したか?
「できないんだったら、どっちかやめれば?」
僕はとても温厚な顔をしていたはずだ。
いかに心の中ではカチンときていても
僕は大人だし
個人的な感情は表に出でないように訓練してある。
和言愛語(わげんあいご)
とても、柔和で良い表情で応えたと思う。
たとえば、
こんな顔をしていただろう
↓
↓
↓
あ・・・
ちょっと顔に出てしまったかな?
で・・・
その時は済ましていたのだけど、数日たっても進展がなさそうだったので、女子PTに宿題を出しておいた。
『それを、どうやったらできるか』
できるだけ多くの案を出すように言っておいた。
テーマは
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できない理由ではなく、どうやったらできるかを考えよう
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これは、なにも委員会とか業務とかそんなことに留まらず、リハビリテーションに関わることだと思う。
人間の成長に関わることだと思う。
自分で自分の限界をあっさりと提示して「できません」なんて言葉で世の中を狭めてしまうことがないように。
なんとか頭をひねって、自分の努力で、自分のアイデアで、困難を乗り越えてもらいたい。
そう思った。
そして、自己反省の思いを込めて、僕も頑張ろうと思った。
コメント
Unknown
ま~も以前仕事で人に指示だしたり
してたけど・・・指示出す前提で
「できない」仕事は与えてない・・・
と思ってみたりして
でも、出される方も自分の意志で
やりたい仕事があったりして
いっぱいいっぱいになってる事もあるし
要領がわからず「できない」と言う事も。
上司?としては「できない」と言われて
KAZZくんみたいに自分でみつけてもらう
方法もあるけど、その子がいろいろじっくり
考えてだした答えが「できない」なら、
どうすればできるか・・・のポイントを
教えてあげるのもいいかもね♪
やさし~~~くね
やさし~~~く
>ま~さん
アドバイスありがとう!
やさし~~~くなんだよね(笑)!
おなじ専門職としてみるから厳しくなってしまうんだよね。
「こんくらい、諦めずに自分で乗り越えろよっ!」って。
ただ、みんな僕みたいな価値観じゃないだろうし、人に応じた指導が必要なんだろうね。
「良くしてあげたい」
と思う反面、
「んな、甘っちょろいことやってられるかっ(#゜Д゜)ゴルァ!!!」
て、両方思ってしまう(笑)!
しばらくは「役付き」になりたくない・・・
Unknown
こんにちは!
わたしは「できません」ということばもそうだけど、「むずかしい」という枕詞もくせ者だと思っています。
「むずかしい」ということば(を発すること)によって、その後のプロセスを考えることをしなくなる。。。つまり、思考停止してしまう危険性をはらんでいるのではないかと。
「むずかしい」が水戸黄門の印籠のような、免罪符のような働きをしてしまうことに危機感を覚えます。
むずかしい
>むこさん
そうですね!
「むずかしい」も思考停止・行動停止の呪文かもしれませんね。
また、実は案外かんたんであることも、この「むずかしい」という言葉で複雑化することもあるかもしれません。
ただ
『「むずかしい」から、やらない(やりたくない)』
という思考の人と
『「むずかしい」けど、挑戦する(乗り越えたくなる)』
という思考の人と両方いるでしょうね。
もちろん、僕は後者の思考の方がスキなんですけど。
パズルでの数学でも、この難しさからの開放感を味わうところが醍醐味であるようにも思います。
乗り越える。我慢して乗り越える。
数学者の藤原正彦さんが著書「祖国とは国語」のなかで『我慢力』という言葉を挙げています。
現代は我慢力を培うのが難しい時代であると・・・
逆に甘やかしが、流行の教育理論に支えられているところに現代日本の病根がある、と。
読書をすることも算数を解くことも、その他もろもろもこの我慢力が必要です。
もちろん社会で生きていくためにも必要だと思います。
そして、
この我慢をしないで済むのが
「できない」といって「やらない」ことや
「難しい」といて「やらない」ことにつながってしまうんだと思います。
挑戦して解決可能なものだけに取り組んで、挫折・失敗の回避だけをしていたのでは、真の達成感にたどり着けないのではないかと思います。
と、言いつつ、僕も甘やかされて育ったんですけどね(^_^;)アセ
(・・・いや、ほったらかしだったかな?)
Unknown
息子が、すぐに「じゃ、できんかったら?」と言ってくるので、ほぼ毎回キレ気味に「やってから言えっ!!」と大喧嘩(汗
以前のパート先で社長から指示があったけど、私の時間的に「出来ません」と答えたら、いつも仕事を指導してくださっているオジ様より「出来ないと言うのは良くない」とはっきり言われました。
やってみると、無い時間は無い時間なりになんとか出来るものです。
焦りがあると、その事に気付けないと思いました。
強い!
>korokoroさん
いろんな体験談有り難うございます!
息子さん・・・
いまからしっかりと言われていたら、強く育つと思います!
korokoroさんの指導者であるオジ様とシンクロしちゃいました!
そうなんですよね、案外、できちゃうもんですよね、いろいろと。
その「できるもんだ」と感づいたkorokoroさんもさすが!