2006年3月・・・
実家へ帰った.
僕の実家は二階建て+屋根裏に物置という構造になっていて,そこにいろんなものがしまってある.普段は見かけないところだ.
目的のものを降ろして,ついでの屋根裏散策がはじまる.
散策といっても狭いところなので,どこにどんなモノが有るかはすぐにわかる.大抵は捨てたくても捨てられない,思い出のモノとか,空き箱や本だ.
逆に言えば,そんなモノばかりが密集している空間が,この屋根裏部屋になっている.
「捨てたくても捨てられないもの」
とは良い表現だと思う.実際は「捨てたくないもの」であり,出てくモノは物質ばかりではない・・・.
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数ある段ボールの隙間から新聞が出てきた.新聞は変色していて本来の色が黄色味を帯びていた.
物置に新聞は何も変哲の無い組み合わせだろう.モノや床が傷つくのを防いだり,湿気からの予防にもなる・・・.
しかし,不意に開いたページの内容に息をのんだ.見覚えのあるページ.
日付は
1996年(平成8年)5月24日(金曜日)
10年前だ!
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10年前.僕は学生だった.4年制の専門学校で理学療法士になる勉強をしていた.学年は・・・2年生.この新聞が出たのが5月だから進級したての頃だろう.
興味のある科目以外は殆ど出席せずに,喫茶店"Cafe de Soleil(カフェ・ド・ソレイユ)"に入り浸った日々だった.
この新聞記事テーマにもある「街角」えるもーる1番街はソレイユのすぐ近くにある.実際のところ,僕はほとんど街でギターを手に取ることは無かったように思う.僕がいる時の方が特殊だろう.僕は店の中でもコートを来ているような人間だったし,熊谷君は冬空でも雪駄(せった)を履いているような人間だった.
当時は路上で歌うヒトなんて少なかった.「町で弾いている」といえばほぼ熊谷君の話だ.それに「ストリートライブ」なんて言葉もあのころの僕には不自然に聞こえた.
僕は高校生の頃にエレキギターを始めた.高校卒業時には母からクラシックギターを買ってもらった.熊谷君とは専門学校で知り合った.僕が熊谷君に合わせてエレキギターを弾くこともあったが,コンクールや外ではクラシックギターを弾いた.
新聞で僕が持っているギターは「SUZUKIのギター」といって滅多に無いものらしい.音の小さなクラシックギターではなくて,スチールの弦を使える胴の大きいギターを熊谷君が僕にくれたものだ.
新聞を読んでみよう
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実力派ユニット「KUMACHI」
『夢はプロ 街角に響く歌声』
ギター手にライブ 地元で地道な活動
音楽関係者から実力を評価されている米子市のグループが,プロのミュージシャンを目指して地道な活動を続けている.専門学校生の熊谷尚武さん(二十)=米子市米原三丁目=と同級生の足川和隆さん=同市彦名町=によるユニット「KUMACHI」(クマチ).十代のアマチュアを対象に,三月に行われた音楽コンテスト「ティーンズ・ミュージック・フェスティバル」(ヤマハ音楽振興会など主催)の岡山大会(中国地区東ブロック)で二年連続で大賞に輝くなど,その評価は高い.
コピーバンドのボーカル担当だった熊谷さんだが,「もっと自分の思いを伝えたい」と高校二年の時から,自分で作った曲の弾き語りを開始.専門学校入学後,足川さんがギター担当として加わり,現在は二人で活動している.
「内輪受けの企画コンサートより,多くの人に聴いてもらえるから」と活動の主体はストリートライブ.週末の午後,米子市角盤町一丁目にある「えるもーる1番街」の一角で,ギターをかき鳴らしながら歌を響かせる.買い物客らは足早に通り過ぎるだけだが,「それでも,知らない人がじっくり聴いてくれることも有ります」と熊谷さん.
作詞,作曲はすべて熊谷さんで,オリジナル局は約五十曲.日本語だけで作る歌詞にはこだわりがある.コンテストでの受賞曲「五月の夜空」は,恋愛が始まったばかりの純粋な気持ちを,時間の流れなどに例えて書いたと言う.
現在は「五月の夜空」を含む六曲をレコーディング中.仕上がったデモテープを基に,自分たちでプロモーションして行く考えだ.山陰以外のライブハウスを回ることの計画しているが,「いきなり都会に出ても,すぐにプロになれるわけではない.今は地元での活動を大切にしたい」と言う.「子供からお年寄りまで,みんなに知られるミュージシャンになる」ことを夢見ながら,思い出を詰め込んだ歌を街角に響かせ続けている.
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KUMACHIの演奏は二十五日午後七時からFM山陰の番組で放送される予定.
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軒並の言葉だが月日が経つのは早い.
新聞の記事はなつかしくも思えるし,つい先日のように思うこともある.
その後の熊谷君は,地元でメンバーを3人を集めバンドとしての「KUMACHI」を始動させ,この記事から2年後(1998年)に上京した.プロとの契約,バンドの解散を経て現在はソロでの活動を行っている.
現在となっては熊谷君と連絡を取ることは無いが,それも僕達らしい存在の仕方かもしれない.偶然にスタジオでフッと出会ったのも5年も前になるのだから・・・.
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ちなみに,オフィシャルの広報としては僕たちの活動は存在していないことになっている.しかし,段ボールの片隅から出てきたこの記事と同じように誰かの中では保管されている.カフェ・ド・ソレイユでの膨大な写真,数本のデモテープ,ライブの半券・・・その行方を想うとあの時に出会った人々,今の僕がいる.
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