『あんなもん、ウマい言うとるんかぁ!』
と、病院の食堂のオムライスを軽く笑い飛ばすおじさん。
病院食堂のオムライスは僕からすれば、美味い。
僕だけではなくて、多くの職員にも人気な半熟卵のおいしいオムライスなのだ。
おじさんは、もともと特殊な仕事をしておられて、それなりに裕福な生活をしておられたようだ。
『あんなもので美味いとはマダマダだなっ!』的な余裕の笑顔だった。
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おじさんは明瞭活発な性格で、いつもスカッとしていた。
言うことは言う。
おじさんの正論で泣かされたスタッフもいた。
おじさんは、生き残りだった。
九死に一生よりも確立の低い中を生き残られた。
本人は『生きることにこだわっていない』という風だった。
『やることやったので、もういつ死んでもいい。ホントだよ?』
ウソは嫌いだという真顔で、僕にそう語りかけてくれた。
僕はリハビリ担当として、関わらせてもらっていた。
医学的にはどうか分からないけども、『生きたいように生きる』ためのサポートを考えていた。
主治医からは何度も、頭を下げられた。
『おかげさまで、こんなに良くなって、ありがとうございます』と。
けども、それは『リハビリスタッフの力』なんてものではなくて、もっと予定されていたもののようにも思えた。
理不尽な死や病気もある一方で、そういった生もある。
あるいは、延々と死を望みつつもなお、生きることを望まれたり、生き死にに対する望みの判断が曖昧なまま、今日を過ごす方もおられる。
もちろん、リハビリスタッフのアプローチも最善を尽くしたつもりだが、そことは別の次元でなにかが決定されていた気がしてならない。
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おじさんは、しばらくして活気を失ってしまった。
失ったのは活気だけではなく、意欲や笑顔、言葉や思考・・・
そういったものが、消えてしまった。
予想されなかった・・・といえばウソになるが、転倒して頭を打って、それがもとで、そういう状態になってしまった。
またもや、生きることを選択されたのだけども、今度のおじさんは、まるで別人になってしまった。
車椅子に座り、半目で、軽く背を曲げていた。
食事は、ドロドロのもので、色だけ違うのが皿にわけられていて、それをスプーンですくい口に運ぶ。
粉薬もをのまま口にいれても、無表情で口を動かし続けておられる。
本や新聞のページをめくることはできるのだけども、内容を理解できているのか分からない状況だった。
どこかしら、あの以前のおじさんの雰囲気はあるのだけども、やはりいつまでも戻って来られない。
また、いつものように「よぉ!」と、笑顔で手を挙げられるのではないかと思いはしたけれど・・・
『頭打ったらおしまいだね。でも、死んでも悔いはないよ。ほんとだよ?おれはやりたいように生きてきたからね!』
そういっておられたのを思い出す。
そういえば、仕事のお話をしておられた時のおじさんは、子供のように目を輝かせていたし、それでいてしっかりとした誇りを持っていたように見えた。
たぶん、やり通した後ってのは、あんな表情になるんだろう。
楽しそうで、誇らしそうで。
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しばらくして
おじさんは転院された。
そして、もうしばらくして
スタッフが教えてくれた。
おじさん、死んだんだって。