汽車に乗っていて
中原中也(ナカハラ チュウヤ)の詩が、ふと頭の中を流れてきた。
■月夜の浜辺
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。
それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂(たもと)に入れた。
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。
それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
月に向つてそれは抛(ほう)れず
浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁(し)み、心に沁みた。
月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
たまにこんなことがある。
中也がボタンを拾った感情と僕とがシンクロしてしまう・・・そんな感じ。
ボタンを拾う中也は、中也に拾われるボタンに似ている。
波打ち際のボタンも、空に浮かぶ月も・・・
みんな真白(ましろ)で、少し霞んでいる。
そしてそれは浜辺を歩く中也そのもの。
いつもそう思ってしまう。
僕は孤独なボタン
僕は孤独な月
僕は孤独な中也
こういうことが心に浮かぶというのには、何か意味があると思う。
夏も終わり、少し寒くなってきたからかな・・・
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Unknown
文学いいっすねー。
拾う者は拾うべくして拾う
拾われる者も拾われるべくして拾われる
少しKazzさんの脳とシンクロできた気がします。
>MasAさん
いいよね!
中原中也の感性って、心にしみる!