終戦の日
1945年(昭和20年)
日本は、アメリカと戦争をして敗れた。
敗戦というと、それに否定的な人もおられるけども、確かに、日本は敗戦した。
そして、その後の日本は、7年間もの間、アメリカの占領を受け、表向き独立した。
国際法では禁止されているが、戦勝国が敗戦国を裁く東京裁判(正式名称:極東国際軍事裁判)が行われたり、アメリカの実験的な(そして、日本が二度と立ち上がれないようにするような)憲法が制定されたりした。
日本が主権を回復した1952年4月28日のサンフランシスコ平和条約発効直後の5月1日、戦犯の国内法上の解釈についての変更が通達され、国会決議と関係諸国の対応によって、A級・B級・C級すべての「戦犯」の名誉は法的に回復されている。
戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われることとなり、戦犯とされた人々のために数度にわたる国会決議もなされた。
本来ならば、これでA級戦犯はもとより、B級戦犯もC級戦犯も存在しなくなった。
現在では、そのイメージだけで、戦争犯罪の輩ということで糾弾されている。
国民でさえ、A級B級C級を「罪の重さ」だと勘違いしているくらいだ。
A級戦犯:「平和に対する罪」
B級戦犯:「通常の戦争犯罪」
C級戦犯:「人道に対する罪」
そもそも、この東京裁判は、事後法(じごほう)で裁かれている。
事後法とは、法を作り、過去に遡って、人を裁くというものだ。
例えば、ブログを書いたら死刑という法律を作り、過去に遡って、ブログを書いた人を死刑にするというものだ。
そのほうが存在しない時の行いをのちの法律で裁くことは禁じられている。
また、戦勝国アメリカによりWGIP(War Guilt Information Program:ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)というのも展開された。
これは、「日本はこんなに悪いことをした」という情報を日本国中に垂れ流し、日本人に戦争に対する贖罪意識を上込めるためのものだ。
戦後74年も経ったが、これがいかに功を奏していることか、よくわかる。
かつて、大東亜戦争(太平洋戦争)を戦った若者は、日本を護るために、自分の家族を護るために、自分の恋する人を護るために戦った。
今では、その人たちのことを残虐な人たちだと・・・そう思うように教育されている。
日本のために犬死した人たちとも宣伝されている。また、国家によって洗脳された若者たちと宣伝される。
いやいや戦ったのだと宣伝される。
そんなに単純なわけがなかろう
戦後、僕らが繁栄を築いたこと
命を紡いでこれたのは、かつての若い戦士たちの命の上にのっかている。
彼らは九段(靖国)で逢おう、と言って散っていった。
父は九段の桜の下にいますからね。と娘に手紙を書いて散っていった。
そういった彼らの命の上に僕たちは立っている。
いや、もしかしたら踏みにじりながら、そこに立っているのかもしれない。
感謝せねばなるまい。
黙祷せねばなるまい。
過去から背をそむけ、彼らを悪人に仕立て上げ、自分たち日本人こそ平和を乱した悪党なんだと、
なぜ言えようか?
命を護るために自らの命を差し出しら彼らに感謝することが、なぜに戦争礼賛になるのか?
運命に逆らえずに、それでもなお笑顔で戦地に向かった彼らを、なぜ犬死にといえようか?
九段で家族に会えると思い散っていった彼らは、すなわち私たちなんだ。
彼らの生を、今僕たちは生きている。
黙祷
2019.8.15