今年度いっぱいで、職場を去る神経内科女医の送別会。
会場は松江駅近くの
◾︎和らく
振り返れば、同職場での7年のおつきあいをさせてもらった。
やはり寂しい。
.・゜・(ノд`)゜・.
何と言っても、とってもプリチーな先生だったからっ
(●´д`)モエー
医師と理学療法士として、ともに患者さんを見させていただいたことに感謝感謝。
でも、遠くに行かれるわけではないので、これからも交流は続くことを願う。
この先生で印象に残っていたことがある。
院内でCPR(心肺蘇生)コールがかかった時のこと
夜だったので、僕はカルテ入力中か何かの時だったと思う。
院内のコールを聞いて、現場に駆けつけて、自分にできることをする。
僕はドクタではないので、治療そのものにあたることはないのだけれど、人手としては役に立つこともあるだろうと思っている。
猫の手くらいにはなるだろう。人の命がかかっているんだから、何なり役に立ちたい。
その患者さんの蘇生が終わった後も、僕は現場に残っていた。
いつもそうしている。
どんなことが行われているかを目に焼き付けたいと思う。
救急の場で何が起こっているのか、何が行われているのかを知りたい。
事後、その患者さんに、リハビリオーダが出されるということもあるだろうし。
リハスタッフとしては、そういった命のリレーを引き継ぐことになるのだから。
蘇生が終わった後は、最小限のスタッフが残る。
患者さんが移された個室内には、主治医と駆けつけた家族さんがおられる。
僕は廊下で待機していた。
何を待機していたのかわからないのだけども、その場にいた。
そして、そこには僕の他、このプリチーな女医と、研修医もいた。
とりあえずの蘇生の終わった(蘇生が成功した)安堵感から、二人の研修医が笑い声を挙げた。
小さな、ハハッっ程度の声。
たわいもない雑談なのか何かわからないのだけども。
その瞬間
その女医が、「キッ」と研修医たちを、”睨みつけた”。
・・・ように見えた。
僕も安堵していたのかもしれないけども、どちらかというとソワソワしていた中でのこと。
女医さんの表情が緊張感を走らせたのを見て、「まだだ」と思った。
安堵の時期ではない。
患者さんの心臓と肺は再び動き始めたのだけども、
安堵の時期ではない。
室内では患者さんはまだまだ戦っているのだし、ご家族の心配も相当なものだと思う。
後遺症は?その後の経過は?どうなるかもわからない。
だから、安堵しすぎてはいけない。
その、貫くような硬い表情が、忘れられない。
何よりも、
それ以降
普段見る笑顔が、かわいすぎる
(●´д`)モエー
ギャップ萌えね。
たくさんの思い出があるけど、これからもいろいろ思い出しながら仕事することになると思う。
よい送別会だった。