先日、ラーメンを食べながら、坂井克之『心の脳科学 ~「わたし」は脳から生まれる』を読んでいた。
心の脳科学―「わたし」は脳から生まれる (中公新書) | |
クリエーター情報なし | |
中央公論新社 |
そのことをFacebookに投稿したら、面白いコメントのやりとりへと展開した。
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『ちなみに心の座はどこにあるんすかね?』
kazz:この本の趣旨とは全く違いますが、僕は、心の座はないと思っています。
『それは興味深い!では、意思はどこから生まれるんでしょう?』
kazz:心の座がないと感じるのと同じく、意思の発現する核のようなものもないと思っています。結果としての身体的変化、つまり脳内の電気的変化などは存在すると思いますが…。
『そうなんですよね、脳細胞が何個集まれば随意運動がプログラミングされるのか?とか、それは意思ではないのか?なんて考えると、前頭葉と運動前野・第1次運動野のかかわりとはどうなんだ?な~んて思ったりするもんで^^;』
kazz:そもそも、心や意識という言葉(名)を使い始めたところから見直さなくてはならないと思います。しかし、もはや、科学・脳科学のバブルの膨らみは、取り返しようのないところまで来ています。科学が見つけたことは、決して無駄ではないと思いますが、あまりにも的外れになってきています。
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まさか、ラーメンの投稿でこの話題に展開するなんて面白いと思った!