チーム医療の推進

もはや「チーム医療」とか「多職種連携」とかという"語"が当初の使用理念からかけ離れ手垢にまみれてしまった気がする。
現場では実態をさしおいた不十分な医療が行われており、それを顧みもしないような状況・・・
多職種がそこにいるというだけで「チーム医療」を行っていると勘違いし妄言振りまく輩もいる。
そのような輩に限って、「患者様が主体」などと、いつもの行動とは真逆のことを言う。

またリフレッシュのために新しい"語"が登場して、実態のみが変わらずそこに置き去りになる状況が繰り返しに行われるのではなかろうか?

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カンファレンス

患者さんに対するアプローチ・評価・目標などをさまざまな職種が集まり、協同して考え話しあう。

共に悩む、だけではない。
今までのアプローチを評価し確認することも行う。
新しいアイデアを出し、目標も設定する。

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今日のカンファレンスはいまいちだった。

悩むのは分かる。
現場ではさまざまな悩みが錯綜している。
理想の医療と業務が乖離している場面も少なくはない。

しかし、悩みは突破口の一つでもある。
少なくとも、悩んでいるということを確認することが必要で、そこからがスタートになる。

「在宅(への退院)は難しい」
「起こそうと思っても本人がいやがられるから出来ない」
「倦怠感がある」

などなど言われる。

そうやって「悩んでいる」表情は見せる。

だが、そこに『なぜ』という思考が存在していなかったりする。
また、『では、どうするか?』という思考の努力もみられなかったりする。

ただの思考停止であるのだが、それをさも悩んでいるげにしている様子を見ると腹が立つ。

「なぜ在宅(への退院)は難しいのか?」
「なぜ、いやがられるのか?」
「なぜ、倦怠感があるのか?」

「在宅(への退院)は難しいからどうしようか?どうしたら在宅へ」
「いやがるので、どうしようか?」
「倦怠感があるので、どうしようか?」

そういったことなどをしっかりと考えて、それをアプローチして再評価することが必要なのに・・・。

そういった思考や実践の循環が無ければ、それは医療ではない。
専門職である必要ないし、多額のお金が支払われるべきではない。

われわれは単純な肉体労働者ではない。

患者さんに最良の医療行為を考え抜いて提供しなければならない。
努力不足であることも多々あるが、それでも常に良い方向へ向かいたいという気持ちは持ち続けなければならない。

人助けだ。

カンファレンスは愚痴り大会ではない。
そうであってはならない。

患者さんのよりよい人生のために、わずかな可能性でも突破口を見つけて、それを広げていくパワーが必要だ。
チームとは、そういうことの出来る人間達の集まりだと思う。

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参考

KAZZ BLOG「チーム医療」関連の記事
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足川 和隆 理学療法士18年生! 毎日、始発で出勤、最終で帰宅の米子~松江の通勤をしています!

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