スポンサーリンク

限られた入院期間の中で

理学療法/病院

先日は、<< つづく >> みたいな感じにしてblog記事を終えたけども、引き続き、第11回山陰リスクマネジメント研究会で感じたことを綴ることにする。

それは研究会で何度か口にされた

「限られた入院期間の中で・・・」

という論法について。

この論に込められていることは

・入院期間(←特に急性期)は短い
・その中で行えることは限られている
・では、効率的に行うには・・・

ということだと思う。

今回の研修会で出てきた「限られた入院期間の中で」論法は、患者さんが在宅に帰られてから、『再度転倒しないようにするはどう指導すべきか?』とか、『誤薬や飲み忘れをどう指導するか?』とかいう流れで出てきたものだ。

しかしね・・・

やはり、入院期間は限られている。
全部を行うには無理があるし、どうしても足りないことも出てくるだろう。

「指導」と称しつつも、「指導した」という事実を残すだけで終わっていることも多いのではないだろうか?

だからね、「全部しなくていいじゃん!」と思うのだ。
・・・怠けているわけではなくて。

『事件は急性期病院で起こっているんじゃない、在宅で起きているんだ!』by pseudo青島

てことだから(?)

やはり、在宅で起こることは在宅のプロにお願いしたらいいんじゃないか?

といっても、「急性期病院は指導しなくてもいい」と言っているわけではない。
「完璧に指導しきる必要はない」ということだ。
どのみち、在宅と急性期病院とでは根底となる環境を異にするのだから。

急性期は急性期病院で起こる事象の評価と目標設定やそれにむけたアプローチを行い、その状態を連携でもって在宅医療につなげる・・・というか、託す。そうすればいいと思う。

急性期病院で、無理に(在宅生活に対する想像力も乏しいまま)アプローチを行いきろうと思うよりも、実際を見ている在宅スタッフにお願いすればいいと思う。

まかり間違っても、急性期病院で起こっている状態が、在宅で起こっていると”勘違い”してはならないと思う。

「病院では○○だったのに」なんて言葉はよく聞くでしょう。

環境が違うから当たり前だと思うんだよね。

だから、急性期病院は急性期の中だけで問題解決をしようとは「思わずに」、連携でもってその解決を図った方がよくなくなくなくなくない?

我が病院の「理念」には「基本方針」が4つ提げられている。

その2番目にこうある。

『地域の医療機関や、保険・介護・福祉施設との連携を推進し、患者様に一貫した医療が提供できるよう努めます。』


この通りだと思う。
だれが考えたか知らないが、みごとに機能分化と連携を捉えていると思う。

急性期医療では急性期医療で行えることを最大限にして、後のことは在宅医療にまかす。急性期は在宅のことを専門的に出来ないのだけども、そこにおいては連携を推進することによって一貫性をもたせた医療を患者さんに提供できるように努める。

もちろん、こんなスパッと出来ることじゃないと思うけども、連携でもって在宅医療や在宅生活に利するようなアプローチを考えることって必要だと思う。

だから、
「限られた入院期間の中で・・・」

につづく言葉を考えると

「限られた入院期間の中で・・・在宅で起こり得る事象を分析して、我々が責任を持って一貫した在宅生活の計画を提供する。」

ではなくて

「限られた入院期間の中で・・・われわれは急性期医療を効率的に行い、在宅生活に関しては専門の在宅スタッフとしっかりと連携を持ち、その後の計画を託す」

がいいと思う。

夢見過ぎ?

にほんブログ村 病気ブログ リハビリテーションへ
にほんブログ村

スポンサーリンク

参考

KAZZ BLOG「リハビリ」関連の記事
KAZZ BLOG「リハビリ」関連の記事
KAZZ BLOG「第11回 山陰リスクマネジメント研究会」(2010年07月04日)

コメント

タイトルとURLをコピーしました