7月28日
4月に一緒に宮城に向かった救護班のメンバー(7人)での会食だった。
救護班のメンバーは、一時的に招集されたメンバーで構成された。
事務、医師、看護師、薬剤師
僕らのチームが構成されたのは第6班、4月7~11日の5日間の任務だった。
そのあと、それぞれがそれぞれの部署に戻り、それぞれの仕事をして・・・、つまりは職務上はバラバラになっていた。
そして、その後も集まろうということで、『お疲れ様会』として、食事をすることにした。
で、今回がその第2弾になるわけだ。
僕達は千年に一度と言われる災害救護向かった一つのチームとして、ある種意味を持った仲間なんだと思う。
これからも続けていきたい。
それが、僕らの記憶を確かなものにして、鎮魂につながるんだと思っている。
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店からの帰りは、班長と歩いて駅の方向に向かった。
班長は僕と同い年の医師で、物静かなまじめな方だ。
松江の大橋川を渡る「しんおおはし」の上から町を見ると、街灯の明かりやネオンが水面に反射して慰霊灯のように見えた。
夏の真っ暗な夜の中を小さな光が浮かんでいる。
その向こうは宍道湖が広がるはずだけども、もはや空と区別がつかないくらいに暗く、静かだ。
『3月の、食堂から始まったんですね』
と班長がつぶやいた。
震災前から班長とは面識があったというものの、出会った折に挨拶を交わす程度だった。
救護に関して被災地に向かいたいと話をしたのが、被災後2週間あたりの食堂だった。
しかし、同じ救護班として活動するというのは、計画されたことではなかった。
あの時から今に時間がつながっているのが不思議に思える。
記憶にはいろんなことがぎっしりと詰め込まれているんだけども、手を突っ込んで探さなければ取り出せないようになってきている気がする。
あたらしい「今」で上書きされる。
それはいいことでもあるんだけども、
だからこそ、きちんとした形で収めておきたいと思う。