■薬局
という月刊誌がある。
その名の通り、薬剤関連の雑誌なのだけども、
今月の特集は
■アルツハイマー型認知症
薬局 2010年 12月号 [雑誌]南山堂このアイテムの詳細を見る |
薬の雑誌と言えど、薬のことだけが取り扱われているわけではない。
認知症の初歩から診断、薬剤はもちろん、地域連携まで話が及んでいるので、この一冊で結構まとまっている。
基礎からしっかりとまとめてあって、大変勉強になった。
良い特集だ。
その中に、
『医師へフィードバックすべき情報』として、こだまクリニック院長の木之下徹先生が書かれている頁がある。
早期発見(早期支援)のために薬剤師の立場から医師にフィードバックすべき「重要な情報」を構成する為の視点とそれを医師に伝える姿勢について考察している論文だ。
で、その論文の中に、敢えて、次の項目をつくっておられる。
『患者という言葉』
ここ(参照)でも以前紹介したが、『person』と『patient』についてLancet Neurologyに論じられた文(※)を挙げておられる。
有り難いことに、今回は日本語だ。
「『人』という言葉には、『包括的な人間性や個人としての平等な価値』を示す意味があるのに対し、一方の『患者』という言葉には、『不完全で望ましくない差異』という意味合いがある」
木之下先生の解釈である。
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すなわち、「認知症患者」というと、何か欠けた存在、という見下した感じ(stgmatic term)がするというのである。この文章に反って具体的なイメージを想起してみると、例えば「認知症患者」という言葉には、「介護」というイメージがつきまとい、御世話されるだけの受動的な存在で、さらにいえば本人んが生活を楽しむなんてありえないという、絶望的な風景を想起するような手厳しい文章であるともいえる。
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すこし、大げさに読み取れなくもないが、これが実態であるようにも思える。
そして、木之下先生は、こういった一連の論文を読むにつれて『患者』という言葉を使わなくなった(使えなくなってしまった)とのこと。
わざわざこの項目『患者という言葉』をつくっておきながら、木之下先生はこう訴えておられる。
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読者にそれを強要するわけではない。しかし、一旦はこの違いについて考えるべきである。当該用語集(←論文中に紹介されたオーストラリアのもの)の最初の行には「言葉は強力な道具である」とある。例えば「患者」を「人」と置き換え実際に発語することで、なすべきことが変化する。わざわざこの項を設けたのはこういった考えが情報伝達の姿勢を問うものであり、そしてそれが伝達すべく情報の内容を決めるからである。
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非常に力強い言葉だ。
このごろ考えている言霊(コトダマ)や呪(シュ)についてと全く一緒といえる。
もう一つ、感激することは、この木之下先生という人は、こうった語の違いに気づいたのみではなくて、実感し、そして実践しているということだ。
KAZZ BLOG「patient / person」(2010年04月22日)
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Lancet Neurol. 2008 Apr;7(4):362-7.
Person-centred care of people with severe Alzheimer's disease: current status and ways forward.