大東亜戦争(太平洋戦争)の終末期において、物資のない日本は、それこそ放っておいても負ける状態であったのは明白であった。
日本に負けてほしくないと思うのは、もちろん日本国民もだが、実はアメリカの中枢の人もそう思っていた。
日本の降服を拒む必要があったのだ。
アメリカは日本に勝つ必要があり、そのために日本が負けてしまってはならないという矛盾を抱えていた。
つまり、
日本が降服してしまえば、「戦争」「成敗」の大義のもとに『核攻撃の人体に及ぼす影響』について研究ができなくなるからだ。
核爆弾を落とすのは、戦時中でなければならない。
核爆弾を都市に落とした場合に、どのくらいの被害が出るか、どのくらい人が死ぬか、どんな具合で死ぬか・・・
瀕死の日本を見ながら、そんなことをアメリは考えていた。
そして8月6日には広島に原爆を落とした。アメリカからしたら「落としてみた。」程度の気持だろう。
そして、日本が「負け」を宣言してしまわないうちのわずか3日後の8月9日に、長崎に、それもわざわざ違う種類の原爆を落としてみた。
当時の国際法上でも、戦争の対象は軍事施設や軍隊にあるべきで、一般人を巻き込む攻撃は禁止されていた。
原爆は「一般人を巻き込む」どころの話ではない。
アメリカは、自らの戦争犯罪を隠す意味に置いて、戦後日本を占領し、自らが旗ふりをして「日本は悪い国だ」「こんな酷いことをした!」「そうだ、この戦争は、植民地化されているアジア諸国を立ち上がらせるという意味の大東亜戦争というのではなくて、太平洋を悪の日本から守るためにアメリカが戦ったということで太平洋戦争と言うんだ!」といった情報を日本国民に流しつづけた。
これが、戦後占領政策の一つ。
そして原爆を落とされてもなお「日本が悪い」と思い込んでいる日本人。