『おそれ』とは
【恐れ・畏れ・虞】
1.こわがる気持ち。恐怖。不安。
2.敬い、かしこまる気持ち。畏怖(いふ)•畏敬(いけい)の念。
3.よくないことが起こるかもしれないという心配
『おそれ』無しには生きていくことができない。
ただ、
その『恐怖』を人間は乗り越えていくことができる。
そして、『恐怖』を薄めることができる。
そうすることで、『恐怖』の場にいても平静でいられる。
すると、次の『恐怖』に向かうことができる。
勇敢(ゆうかん)とは
『勇気があり、危険や困難を恐れないこと。また、そのさま。』
もちろん、ただ単純に恐怖を感じないのは、『勇敢』とは言わない。
日本人の場合
本能的に感じた『恐怖』に対して
理性的に逃れる行動や心理を『恥(はじ)』という。
赤っ恥を感じて、どうなるか。
日本人は『恥』を反動にして、それ(恐怖)を乗り越える精神力を持つ。
『日本は恥の文化である』
というが
これは、決して『日本人はシャイである』ということではない。
恐怖に対して、『恥』というものを感じ、恥をかかない為に、その恐怖を乗り越えてきた。
その精神性を高めてきた日本人。
何か向かうべきところを、知っている。
それを『道(みち・どう)』とした。
その崇高な精神性の獲得のため、『恥』を大切にしてきた。
なるべく恥はかかぬように。
『恥』に対する感受性が強ければ強いほど、反動も大きく、精神的成長も大きい。
『恥』は
『避けて通りたいもの』ではなくて、『立ち向かっていく』べきものだ。
『恥』をかいたら、成長の機会だと思って、立ち向かわなければならない。
逃げていては、より大きな恥が訪れるのを待つだけだ。
教育の場から、「恥」が消え去ろうとしている。
子供たちになるべく「恥をかかせぬように」「嫌いなことはさせぬように」・・・と。
嫌がることを避ける、そのセッティングを大人たちが行う。
そんな幼稚な精神力のまま、個性というものが育て上げられてしまう。
『日本は恥の文化である』
恥に立ち向かい、勇敢さを身につけ、神(=自然)を崇敬する民族である。
成長する為には、『恥』が必要なんだ。
その『恥』屈せずに立ち向かっていけることは、数千年の間に私たち日本人の祖先たちが証明してくれているので、大丈夫。
恥に対して
ただただ、萎縮して生きていくのも、つまらない。
と、同時に
恥を知らないことも
『恥知らず』といってバカなだけだ。
たまにこうやって振返ってみたいと思う。
誰でも、『恥に萎縮』したり『恥知らず』になったりするんだから。