『希にみる美女』と評された方と、食事をした。
評した方はヨパライではあったが、僕もそのヨパライと同感だ。
さて、
その美女が
「これみて」
と、携帯の写真をかざしてみてくれた。
そこには、歌がひとつ
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明日ありと
思う心のあだ桜
夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかわ
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ひとつ僕に意味を聞かせ願いたいということだった。
意味の前に、僕が感じたのは、この歌の美しさだ。
音韻の流れというのか・・・
そして、意味。
意味を考えると儚(はかな)い
儚く散る運命の桜の花びら
無情にもいつ訪れるか分からない嵐
なおも、明日ありと思い今を咲く桜
音韻の美しさゆえに、儚さがよりいっそう深い感じがする。
『儚いってことだよ。何に例えたのかは知らないけど』
と返事した。
美女は
『やっぱり・・・』
と心当たりのある様子で、うつむいた。
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あとで調べてみると、親鸞上人9歳の時の歌だということだ。
現代語訳だとこうなるらしい
↓
桜は明日も咲いているだろうと思っているが、夜に嵐が吹いて花を散らしてしまうことがないと言い切れるだろうか。
(どんなに美しいものでも一夜の嵐で簡単に散ってしまうように、明日というものがどうなるかはわからないのが人生というものだ)