セラピストも多くなり、大所帯のリハビリテーション科となったので、それぞれ専門の分野に特化すべく、グループに分けて日々の診療にあたっている。
数年前、僕は心臓血管外科のリハビリテーションを担当して、術前のリハ介入を始めたり、カンファレンスに参加するようになったり、リハビリテーションゴールの設定を検討したりとさまざまな活動に取り組ませてもらった。
僕自身の理解と技術の向上はあったと思うけども、それ以上に交流の面ではさらに深いものがあったと思う。
それから、寂しいことではあったけども、組織の再編成が幾度かなされて、僕はリハビリテーション病棟の担当に代わり、今は脳血管センターのリハビリテーションに携わっている。
少し前に、久々に心臓血管センターの患者さんを担当させていただくことになった。
たまにはそんなこともある。
手術を受けたのは超高齢のおじいさん。
久々のICU(集中治療室)、心臓血管センター、まったく会わなくなっていたわけではないけども、スタッフが「久しぶりだねぇ」と快く挨拶してくれた。
久々だから意気込んだわけではないけども、とにかくその超高齢のおじいさんのリハビリテーションをなんとかしたくて、介入も一工夫二工夫、センターのナースとも議論を重ねた。
おじいさんは歩けるようになって、その姿を見たドクタが感嘆の声を漏らして喜んでくれた。
ある程度軌道に乗れば、さらに介入もしやすくなり、身体も安定してくる。
そういう正のスパイラルに乗ることが出来た状態となったと思う。
その状態で他の病棟に転棟。
これもシステムなんだけども、転棟とともに担当も交代。
まぁ、あとは大丈夫だろうと、情報提供をして僕はおじいさんの担当を離れた。
ある種の達成を迎えていたので、あとは大丈夫だろうと。
タカをくくっていた。
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数日後、おじいさんはサイド具合を悪くしてICUに入ることとなった。
別に転棟先が悪かったと言いたいわけでもないし、交代したセラピストが悪いと言いたいわけじゃない。
でも、そういったタイミングで、ガラガラと崩れたおじいさんの体調を考えると、なんともやるせない気持ちになった。
急性期ではほんの少しのことでも、その後を大きく左右することがある。
運動の負荷や心理的な苦痛、痰が詰まりやすくなったかもしれないし、何かの感染かもしれない。
転棟しなかったら大丈夫だったか?
担当を交代しなかったら大丈夫だったか?
そうとも言えない。
この急性期の場では、些細なことでも変わりうることがある。
ならば、転棟は仕方が無いとしても、僕が担当を継続させてもらっていたらよかったと、そう思った。
技術的に任せられないとかではなくて、もっと心情的な問題として・・・。
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ICUに移った後、理学療法の介入は中止されていた。
「状態が良くないから」と言う理由だった。
ICUに向かうと、おじいさんがマスク型の人工呼吸器をつけていた。
麻酔(鎮静剤)をかけているので、眠ったまま。
ICUの看護師長に声をかけた。
『また、戻ってきちゃいましたね。』
お互いにそう言い合った。
『リハビリ、入ってください』
僕が申し出る前に看護師長がそう言ってきた。
他動的に関節を動かしたり、動かせない筋肉をマッサージしたり、予防できる機能低下はある。
眠っているおじいさんへのアプローチ
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夜になって、その日の仕事を終えた僕は、もう一度ICUに顔を出した。
おじいさんは、人工呼吸のマスクをつけたまま。
声をかけると、目を開けて頷かれた。
声を発することも出来て、こっちの言ったことも分かるみたい。
昼は眠ったままだったけど、今はもう鎮静が解けている。
おじいさんは、僕の指示に従って、手をギューと握り返してくれた。
『もう大丈夫だからね』と声をかけたらマスク越しに声を出して頷いておられた。
ICUのカウンタに座っておられた心臓血管外科医に声をかけて、状態を聞いた。
このドクタはおじいさんの担当じゃないんだけど。主治医は手術中で不在だったから。
『なんだか良さそうですよ。』
お互いにそう言い合った。
もう一度、ドクタと二人でベッドサイドに向かって、声をかけたり手を握ってもらったりした。
その日の僕のカルテには、「可能な限りの復活を目指す」という一文を入れた。
その夜。
おじいさんは亡くなられた。
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僕はまた、心臓のリハビリから離れた。
ICUや心臓血管病センターに向かうことも無くなった。
向かう必要が無いから。
でも、ところどころで会うスタッフには声をかけられた。
『残念でした』
と、そう口々に、心を込めていってきた。
僕が一方的に慰められたんじゃなくて、みんなが残念に思ったのだ。
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廊下の向こうに、あの日、ICUで話をした心臓血管外科医が見えた。
ドクタは遠くから僕を見ると、大きく手を挙げて、大きなゼスチャで胸の前に手を合わせた。
そして
『ゴメンッ』
と、という声が廊下に響いた。
その後に続く言葉はなかったけど、「何も出来なくて・・・」と続けられたように思えた。
ドクタのせいじゃないし、誰のせいでもない。
けども、そのコトバで、僕は幾分報われた気がした。
きっと、おじいさんも。
そうやって、急性期の臨床が進んでいく。