祝日
というのは、国民の祝日であって、個人的な休暇をいただける日、というのとは違う。
数年前から祝日には国旗を家の玄関に掲げるようにしている。
国民の祝日は、国民で祝うものである。
パーティをするのとは違って、心の中でそっと供え物をする気持ちで祝う。
もちろん、祝日にちなんだ祝いやイベントは多数催されるので、それも喜ばしいことだと思う。
さて、
国民
というのは、何も今生きている人たちが対象なのではない。
いままで国を護ってきた人々
これから生まれてくる人々
そういった人たちを含んでいるんだと思う。
いまここにいるのは、いままで支えてくれた人たちによってなされているのだ。
こと、日本は昭和16年(1941)~昭和20年(1945)の4年間、戦力をもちいた戦争を経験し、その後、アメリカの占領期間を経てサンフランシスコ講和条約の発行をもって昭和27年(1952)4月28日に主権を回復した。
原爆が落ちてきて数日後に戦争が終わったのではない。
武力的な戦闘が停止しただけだ。
7年間のアメリカ占領期間があったことを忘れてはならない。
アメリカの占領下で日本は、厳しい情報統制によるマインド・コントロールが行われた。アメリカの策定した日本国憲法施行も、昭和22年(1947)5月3日に施行されたり、戦勝国アメリカは敗戦国日本を一方的に裁判にかけるという愚行(東京裁判)まで侵している。いずれも国際法上は許されないものだ。
以後、日本は、アメリカの作成した日本共産主義化憲法のようなものを平和憲法だなんて言って65年も大事にしている。
平和憲法がなくても平和な国はあるし、平和憲法があっても国土竹島に近づいた隠岐漁民は射殺されているし、同胞も北朝鮮に拉致されたままだ。
A級戦犯が祭られているという理由で靖国批判をする者もいるが、大半はA級やBC級の区別もつかず、罪の重さで重い者がA級だと思っているし、そもそも、このA級B級C級なんてのが、本来無効の東京裁判によって決められているということも知らないでいることも多い。また、日本はサンフランシスコ講和条約の条文に従って関係十一カ国に交渉し了解を得た上で戦犯とされた方の名誉の回復を行っている。
中条高徳さんは指摘する
『そもそも昭和27年8月の国会に、日本国民の4千万人が戦犯の釈放要求を求める嘆願書をだしたんです。それで国会が決議をした。要するに当時の日本国民は、戦犯となった人たちは国が決めて始めた戦争で戦った人たちだ、と理解していたのですよ。おそらく当時の日本の人口は8千5百万人くらいでしょうから、ほぼ子供が半分とすると大人のほとんどの人たちが立ち上がったんだね。』
それによって、政府が交渉した結果、拘禁されていた人たちは赦免(罪や過失を許すこと)されて、刑死となった7名については議会で「法務死」とされ名誉回復を図った。そして靖国神社に合祀された。
サンフランシスコ講和条約によって「A級戦犯」なるものはなくなった筈なのだ。
ちなみにA級戦犯の判決を受けても、後に加屋興宣(かやおきのり)が池田内閣法務大臣になったや、重光葵(しげみつまもる)が鳩山一郎内閣の副総理兼外務大臣になったについてもA級戦犯がいなくなったことがよくわかるエピソードだと渡辺昇一はあげている。重光葵については、その死を忍んで国連で黙祷が行われたりもしていると。
ちなみに、こういったA級戦犯をつくり上げた東京裁判(極東国際軍事裁判)は事後法によってなされている。つまり、法をつくった後、過去にさかのぼって事例を裁くという、本来無効なものだ。
例えば『外食禁止法』なるものを制定して、過去にさかのぼって外食していた人たちを有罪とするようなものだ。事後法といって有効ではない。
いわゆるA級戦犯の場合は「平和に対する罪」。これは大東亜戦争(第二次世界大戦)前は認知されていなかったものだ。
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・・・とにかく、過去は悪いもの
戦争始めた日本人は悪いものと決めつけている。それでいて自分は現在の(先人達が命を賭して守った)平和をノウノウと享受し、それでいて先人達に唾棄するという始末である。もちろん自身は正義の味方、平和主義者のつもりである。
疲れる・・・
いろんな思いが渦巻いてしまうが
感謝の気持ちを込めて、国旗掲揚。
本日は新嘗祭(にいなめさい)
戦後、「勤労感謝の日」だなんていって、アメリカに塗り替えられてしまったが、心から新嘗祭を祝いたい。