謙虚そうにしていて、全くそうでない場合ってある。
本人の自覚や意思や意図が有る無しに関わらずだ。
本人が何らかの目的を持って戦略的にそうしている場合はまだマシだと思うけども、そうでない場合もあろう。
人の心なんてのは探りきれないし、いや自分自身の心も探りきれないのだから、真相なんてものは分からないのだが。
本日の神山健治映画監督の話は面白かった。
「○○には負けた・・・」
と言っていても、それは、上から目線の「負けた」だという例え話。
主語には、「この俺様が」だとか「本来負けるべきでない自分が」というのが暗に隠されている・・・のかもしれない。
そういえば、そういったことで言えば「謙虚」、というのか似非謙虚に出会う機会は多い。
勉強会とかでもそうだ。講師や受講生を問わず似たような表現をすることがある。
専門的には解明できていることは少ない。
これは本当のことだと思う。
科学的には解明されていない。
それをそのまま発言することは恥ではなく、むしろ素直に現状を伝えているだけだ。
しかし、それに便乗する輩もいる。
何にも知らないくせに、「それは分かっていません」とシタリ顔で言う。
そうすると、聞いた側は「まだ解明されていないことなんだな」なんて思ってしまう。
この場合は、まったく文字通り受け止めればいいのだ。
しかし「私は分かっていません」の意でである。
さも、『その部分だけは解明されていなくて、人類が知り得るところではない』というニュアンスを漂わせて、自分の不勉強を隠す・・・そういった具合が多いということだ。
知ったかぶりをしないことによる「知ったかぶり」といってもいいかもしれない。
「それは分かりません。分かっていません」
とか言ってそのみちに詳しいぞ、と思わせておいて。
つぎはぎの情報や伝聞で表面的に知っているだけということもある。
そんな疑いの耳目の発達してしまった自分自身が嫌になり、最近の講習会や勉強会は敬遠してしまっている。