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教育の波

理学療法/病院

そもそも気分屋の僕なので・・・

かなり波がある。

人間ができていないと言われるかもしれないけども、べつに完成に近づきたいわけでもない。

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『教育の波』

と言おうか・・・
僕にはそういった大きな波がある。

この波は空まで高いところにまで昇ろうとする時もあるし、海底を削るほど低くなることもある。

いずれにせよ、波はエネルギーの現れだ。

高かろうが、低かろうが、留まらぬエネルギー。

一見、平らな湖も、近づくと小さな波や波紋が群がり、エネルギーを潜在的に蓄えていることが伺える。

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で、
いまの僕の教育波は激しい「下方向」の波。

くだいて言えば

上方向の『やったるで!』

という上向きの波が、

下方向へ『どうでもいいやお前らなんか!』

という波に変わりつつあるところ(笑)!

貶めたいわけではないんだけどね。

ほっとくための波だな。

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ウチの病院のリハビリスタッフは約30名。

そのうち理学療法士が19名。

3つの班に分かれている。
(つまり一班6~7名で構成されている)


毎月その班の持ち回りで勉強会を行うことになっている。

ところが、
今月勉強会担当班の班長から「中止にしよう」という意見が出てきた。

「ネタもないし、バタバタしているし・・・」

ということだ。

「バタバタ」というのは、新病院への引っ越しのことだと思うが、特に引っ越しの作業を行っているわけではない・・・

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なので
「中止にするくらいだったら、僕が文献抄読でもしよう」

と持ちかけた。

ただし、僕だけが話をしていてもつまらないので、他に文献抄読できる人がいたら、それを募ろう。

と・・・

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数日して、こんな質問があった。

「もともと中止だった勉強会だから、絶対参加でなくていいですよね」
「希望者のみですよね」
「早く決定しないと、みんな予定入れちゃいますよ」

というものだ。

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ちなみに、数人に「文献抄読で発表しないか?」と持ちかけても、みんな答えは「NO」。

聞いてみると、そもそも文献なんか普段から読んじゃいない。
なので、文献抄読すると言っても、これから文献を探すことになるらしい。

バカ

・・・おっと暴言。

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今回の件で、よくわかったことがある。

彼ら後輩たちにとっては、自分たちに理学療法士としての責任や義務を持ち合わせていないのだ。

なので、自分の生活第一。

「自分の生活」・・・例えば、「遊び」や「習い事」や「飲み会」や「テレビ見る」や「ボーっとする」や「寝る」を優先させておいて、それでも余剰分の時間があればそれを勉強会に「あててもいい」・・・といった感じだ。

そして、僕が勘違いしていたこと。

それは
僕は、こう思っていた。
「文献抄読会をするから」
と言えば、後輩たちは喜ぶと思っていた・・・

これは大きな勘違いらしい。

後輩スタッフ誰もが、「いいですね、それ!」なんて言わない。
むしろ
「出来れば休みにしてもらいたい」
「まさか、自分は発表したくない」
と思っているのだと思う。

そもそも、「文献抄読」の提案に「いいね」と賛同してくれたのは、課長だけ。

課長は学習の重要さの分かる謙虚な人間だ。
余談になるが、僕は学習の重要性の分かるが、謙虚さは持ち合わせていない。

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理学療法士は

「有資格者」だ。

「有資格者」というのは、資格の範囲内で自由奔放に動けるということではない。

責任も生じるし、義務も生じる。

車のドライバーもそうだ。
自湯奔放に走っていいわけではなくて、車に乗るからには責任と義務が生じる。社会のため税金も払うことになる。

で、理学療法士はどうか?

われわれの責任は
理学療法においてて、なにか長けているということだ。

勉強し続けなきゃならん。
修行し続けなきゃならん。

筈。

ただ、みなさん口には

「患者さんを良くしたい」
「貢献したい」

なんて言っていても、
努力をしない。

結局は自分が大切で、ゆる~~~~~い給料取り生活を満喫している。

僕の理学療法士像は、もっと気高いものだ。

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偽善を感じる。

「英文献読めるようになりたい」とは口で言うものの、その努力をしている姿を見ない。
「患者さんを良くしたい」というものの、結局はダラダラした生活を送っている。

根性無し

・・・おっと暴言。

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なんで、波が下方向なのか。
その後輩たちを先輩として持ち上げないか?

それは
僕の価値観を押し付けたくないし、そんなやる気のない人と「理学療法においては」一緒にいたくもないし、口もききたくはない。

言い過ぎかもしれないが、お仕事を行う上でさしあたりがない範囲での交流をしておけばいいのかもしれない。

彼らを引き止めて勉強「させてやる」必要もないし、ほっとけばいい。

僕は僕で自分の勉強を進めれば良いのだ。

いまは
「文献抄読会をやろう」といった時と真逆のエネルギーがある。

で、計画した文献抄読会は辞退させてもらった。

「みんな、やる気ないみたいだから辞めようか」

と言ったら、他の班長も「そうですね」と二つ返事。
言い訳されるより実に気分が言い。

なにせ、来たくもないのに、僕の話を聞きにこられても、お互い何の徳にもならない。
時間の無駄というやつだ。

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世の中、うまく行かないもんで
といったらいいか

「うまく行くもんで」
といったらいいか分からないが、

このブログを見てくださった方からは問い合わせがある。

「あいましょう」
とか・・・
「教えてください」
とか・・・

大歓迎だ!
ありがとう

自分の職場にいなくて、外にいるんだから、滑稽なことだ。

----------------

数ヶ月前
僕が僕の班の後輩に貸した課題がある。

『先輩より勉強しろ。』
『先輩より多く文献を読め。』

・・・数ヶ月たって再度聞いても全く効果なしだということが分かった。
文献なんか読んじゃいない。
努力もしていない。

『大切な研修会だから』と言って薦めても申し込まない。

すべて、僕の人徳が薄いせいかもしれないが、程もあろう。

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ここまで、読んだ方、お疲れさま。

海の底を削るほど下向きのエネルギーはこんな感じ。

これが、また上向きになると

『そうは言っても、教育って必要だよね!』

という上向きになる(笑)。

一緒に働くんだから、皆で高めていく必要がある!
なんてね。

願わくば、盲目的に僕についてきてくれるようなバカがいないものだろうか?

やれと言ったことをやってくれるような人がいたら、僕もかなり高いモチベーションを持ち続けることが出来るのに。

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参考

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コメント

  1. パーマん より:

    熱い先生ですね
    PTS4年の池田と言います。

    1年目はどんなPTでも勉強すると思いますが、10年以上の経験をお持ちの先生が熱い気持ちを継続している事に憧れを持ちました。

    自分もそんなRPTになりたいと思います。

  2. kazz より:

    re:熱い先生ですね
    >パーマんさん(池田さん)
    コメントありがとうございます。
    学生生活もいよいよ大詰めですかね?
    これから国家試験大変ですが、もう一踏ん張り頑張ってください。

    お褒めの言葉を戴き嬉しく想います。

    理学療法士として務めると、休暇は戴けますし、給金もしっかりと戴けますし、いわゆる安定した生活となると思います。

    最初こそは、いろいろ緊張して苦労されると思いますが、半年もたてば、次第に職場にも慣れてきます。

    そういった時に、様々な誘惑に負けずに、勉学に励み、技術を磨き続けることが出来るかが、問題となります。

    説教がましくなりますが、最近の方たちは努力を知りません。
    すこし、勉強しただけでも、「努力した気」になってしまいます。

    どうか、先輩たちの尻を叩けるぐらいに、突進していってください。

    自分のためではなく、社会のために努力していけるように、研鑽を積んでもらいたいと想います。

    kろえは、同時に自戒でもあります。

    一緒に頑張りましょう。

  3. PTS池田 より:

    ありがとうございます
    アドバイスありがとうございます。

    論文嫌いの記事も見させてもらいました。

    私は論文が好きで、理学療法やPTジャーナルを約1500はコピーして読みましたが、同じ感想を持ちました。

    2回読みたいと思う論文は500もありませんでした。

    先輩の意見はとても参考になりますし、共感できました。

    今後ともよろしくお願いします。

  4. kazz より:

    re:ありがとうございます
    >PTS池田さん

    こちらこそありがとうございます。

    矢張りそうでしょう。
    役に立つ論文は、少ないのです。

    ともすると、大切な示唆や提案を持った論文が、役に立たない論文のなかに埋もれてしまうのです。

    2007年のOTジャーナルのことを思い出しました。
    とあるセラピスト達の、効果があるかどうかわからない主張が並んでいるだけです。
    http://blog.goo.ne.jp/kazz_ash/e/6431d84aa186823a037cb005e83c4e7c

    専門家として、こういったものもあきらめずに読まないといけないと思うのですが・・・

    僕の「論文嫌い」・・・
    論文内容よりも、その姿勢に問題があると思います。
    論文のための論文。治療のためのアプローチ。
    そういったものが大嫌いです。

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