小学生の頃だったから、まだ「彼女」というより、「女の子友達」と言った方が良いのかもしれない。
よく遊ぶ女の子がいた。
異性としての意識がなかったわけでもないが、小学生の想いは、なんというかそういったものに発展しにくい。
あるとき、その子からネックレスをもらった。
銀の金属製の輪で、ペンダント部分は、透明な水色で、奥にマリアだったかキリストの白い像がうっすら見えた。
当然、宗教なんて意識するものでもなかったが、清らかな感じはした。
小学生のころだから、ネックレスなんてのは高級なもの、とそう考えていた。
滅多に見ないものだったし、大人の持つものだという認識だったから、珍しく思った。
大事にして、いつも手に持っていた。
けども、首に掛けることは無かったと思う。
そういった装飾を知らなかったのだ。
あるとき、裏山で遊んでいるときに、飼っている犬に飛びつかれて、ネックレスは手から落ちた。
ネックレスを握っている必要はなかったのだろうけども、手に持っていたのだ。
土地全体が砂浜のようなさらさらしたところで、そこにネックレスは吸い込まれていった。
不幸なことに、その上を犬が喜んで踏みつぶすものだから、ネックレスの行方はてんで分からなくなってしまった。
砂をすくえば見つかるようなものだけども、夕暮れの時間だったからか見つからなかった。
翌日も、数日後も見つからなかった。
当初は、残念で悲しい気持ちに浸っていたが、
しばらく経つと、なくなってしまったことに神秘性を感じたりもした。
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昨日のことのように思い出すが、20年以上も前のことになる。
列車と自転車で競争したり、小川に入ってザリガニを捕まえていた時代からは遠くはなれてしまった。
裏山は何年か前に崩されて、公共の墓地が建てられた。
小さな山だったけども、なくなるなんて思わなかった。
小さいと言えど、立派な松林や、奥には竹林もあった山だったのだ。
いまではその面影すらない。
僕の落としたネックレスなんかも、おそらくショベルカーか何かで掘り起こされているに違いない。
いまもこの世の中のどこかに存在していると思うと、何とも言えない懐かしさを感じる。
あのネックレスを落とした自分の感情も思い出も一緒に、そこにあると思う。