「きけ わだつみのこえ」より
【羽仁五郎の『クロオチエ』を読んで】
吉村友男(早稲田大学文学部国文科学生。昭和十九年十月比島西方海上にて戦死。二十二歳)
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また、クロオチエは、多くの人のために尽くすとゆうことを考えていました。
どんな人にも幸福が行きわたるように、ひとりの幸福が一人の不幸を産むことのないように、そうクロオチエは心をこめて考えていましたから、いつも身を低くし、どんな勢力にも加わらず、学問の純粋を保っていました。学問の純粋とゆうことは、生活とはなれるとゆう意味ではなく、いろいろな勢力に負けないとゆうことだと思います。生活と離れて、学問が独立してるなんてことは意味をなさないと思います。
クロオチエは、本当の意味の学問の純粋を保っていた人でした。そうゆう、清い、強い心をもった人が、一部の人だけの幸福を考えるはずがないのは、あたりまえだと思います。
自分は真理の国の王だ、とキリストがいった時、ピラトは真理とはなんだねとだずねました。ピラトは現実に流されていた人だからです。そうゆうものを、はるかに見とおして、どおしても真理を確信しなければいられなかったキリストには、ピラとの問いは意味をなさなかったのだと思います。
クロオチエにもこの時のキリストのようなえい智があったとわたしは考えます。
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