中枢神経系疾患をもつ患者さんの社会復帰に必死で取り組んできたアプローチだ。
ボバースというのは人の名前で、このアプローチの提唱者だ。女性理学療法士と神経内科医。
(ちなみに、「ボバースアプローチ」というのも俗称でしかないけど)
もちろん、ボバースさんの他にも治療やリハビリテーションに関わる努力をされた方は多くおられる。
きっと、無名の方もおられるだろう。
さて、僕は専門学校卒業後、このボバースアプローチを中心に勉強してきたことは間違いないと思う。
しかし、僕の気持ちとしては
ボバースアプローチを勉強した
というよりも、
ボバースアプローチで勉強した
と表現した方が、しっくりくる。
だから、『kazzさんボバースでしょ?』
みたいに受け止められると、非常に変な感じがする。「ボバースのことよく知っているよね?」と聞かれた感じになるからだ。
しかしながら、僕があまりにもボバースアプローチに関わってきたことが多いからそういう具合に思われることが多い。
簡単言えば、『幅広く勉強してこなかった』だけのことなのに、まるでボバースの信奉者みたいに言われると、なんだか熱心にボバースアプローチを勉強されている方に失礼な気がする。
言いワケするのも、なんだか変だけども
僕は別にボバースシンパでもないし、ボバースアプローチの普及を目指す人間でもない。
科学的に言えば、治療結果からみると、ボバースアプローチはなにか優秀なワケでもない。
歴史はあるけど。
目の前の患者さんを見た時には、ボバースだろうが何だろうが、あまり変わりがない気がする。
(しつこいが、科学的な優位性は証明されていない)
「ボバースでは」「ボバース的に」・・・とか、くくりにしたような言い方で質問される場合があるが
『僕に聞かないでくれ。よく知らないから』と言いたくなる時もある。正直に『よくわからない』のだ。
実際、僕は長年・複数回ボバースのインストラクターの指導を受けてきたのだけど、未だにボバースアプローチというものを定義できないでいる。
これは、「奥が深くて定義できない」とかそういうムズガユイことを言いたいのではなくて、単純に「なんだかよくわからない」というものだ。
中には、ボバース信者みたいなのもいる。
『ボバースアプローチこそが、患者の能力を最高に導き出す』とお考えの人もいる。
そこには科学的な介入は無視して、とにもかくにもボバースアプローチが素晴らしいと言う思考があるかもしれない。
そして、派閥・・・というか組織に力を入れている人もいる。
僕が長年にわたって企画させてもらっていた勉強会も鳥取のスタッフからストップがかかった。
『島根で働いているkazzが鳥取で勉強会を企画してはいけない。その勉強会はkazzに代わり鳥取の勉強会が運営する。』みたいなこと言ってくるのだ。
これが、鳥取でボバースアプローチをする人たちの意見の総体だとは思わないけども、そういう人もいるということだ。
僕個人的には、「誰がどこで勉強しようがほっといてくれ」と思うのだけども、組織感覚というのは善くも悪くも、時に宗教的な一途さを持つことがあると感じた。
結局、僕の企画する勉強会は辞めにした。7年くらい続いたのでモッタイナイ気もするのだけど、シンパの組織論に対抗する気力があるくらいなら患者さんと向き合っていた方がなんぼも有意義だ。
困っている患者さんがいて、それをお手伝いする。
僕であれば、理学療法の知識と技術があるので、それでなんとか可能な範囲のお手伝いをする。
以上。
下手をすると、ボバースアプローチのために患者さんをみることになりかねない。
すくなくとも、それは僕の仕事ではない。
そういった意味で、
『ボバースなんかどうでもいいんです。』
と神経内科部長に言ったこともある。
「ボバースのセラピストはこうでなきゃいかん」みたいに言われると、溜め息が出てしまうのだ。
さて・・・
ではなぜ、そうは思いつつもボバースアプローチ「で」勉強してきたのだろうか?
手っ取り早いからだろうか?
もっといえば、ボバース云々以前になぜそもそも理学療法なんだろうか・・・
てなところまでにも遡ったりしてね。
KAZZ BLOG「ボバースアプローチは何でもあり?」(2010年10月23日)
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View Comments
う~ん
kazzさんのその感覚、わからないでもないです、
私も、自分の前に来られた患者さんに対して、何とかよくしてあげたい、何とか自宅で生活出来るようにしてあげたい、と言う思いが一番でして、その中に一知識としてボバースがあるのかなぁ、と思っています。
経験年数に比べると、考えることを横着していた時期もあり、経験数は少な目なのですが、何とか患者さん達に恩返しが出来るように頑張りたいと思う今日この頃です。
ボバースの基礎講習を受けましたが、今ひとつボバースとは何かと問われても答えられない、
Sotからのコメントでした(笑)
Unknown
はじめまして理学療法を学ぶ学生です。
PNFとボバースの違いという課題テーマで、
google検索で参りました。
足跡コメント残していきますね。
re:う~ん
>Sotさん
ども!
コメント有り難うございます。
『考えることを横着していた時期!』
↑最近の僕も、なんだかそんな感じです!
スランプ?
なんだか、深みのないことを平然としてはいないか不安になることもしばしばあります。
やはりイケイケの時代とは違いますね。
手を抜いているつもりはないのですが・・・悪い意味で仕事に慣れてしまっていると感じることがあります。
>TOTOさん
学生さんですね!
ようこそいらっしゃいました。
おもしろい課題ですね。
理論体系、治療体系、技術(テクニック)、考え方、歴史、システム(インストラクー養成や認定制度、研修)などなど・・・
いろんなところで比較ができますね!
そういえば、今もかどうかわかりませんが、IBITA(国際ボバースインストラクタートレーニング協会)の会長ルイス・ラピッツさんは、PNF(IPNFA)の会長でもあったですね。たしか・・・
僕もこの課題やってみようかな・・・
そうですね
初めまして。ふらっと立ち寄って目を引かれたのでカキコさせてください。
先日、自分はベーシックコースを修了してきたのですが、
> 『ボバースアプローチを勉強した』
> というよりも、
> 『ボバースアプローチで勉強した』
との、上記コメントに激しく共感してしまいました。
とおりすがりで、失礼します。
re:そうですね
>kelさん
コメント有り難うございます。
多くの方がそうなんでしょうかね?
ベーシック(基礎講習会)疲れ様でした。
僕も何年も前にベーシックを受けましたが、また行きたいです!
あの研修が財産になっています!
ベッシックに行くまでも大変でしたが、行った後からスタートですよね!
これからも頑張りましょう!
同感です
僕も『ボバース』で育ててもらいました。
患者さんに向き合う姿勢
臨床的推論
脳の可塑性
運動学習。。。
など
数々の『コンセプト』は
自分のなかのベースになっています。
しかしながら
ボバースに
『科学性』も
『エビデンス』も
ありません(現在のところ)
ボバースは
『精神論』であると考えます。
否定する気は全くございません。
ただ
『インストラクター』
と称されるレベルの人が
科学的手法の解釈の仕方(統計)
も分かっていない。
どっかの二流大学の
紀要(卒論文集レベル)
の論文を持ってきて
『エビデンス』の論文です
などと言っているレベルの低さです。
正直
残念でありません。
民間療法も補完医療として
今やエビデンスを構築する勢いです。
その域にも達していないのが
ボバースと考えます
『ボバースセラピスト』
と称する方々
ぜひ
『学』を身につけて
『科学的手法』を学んでほしいです
そのうえで
この
治療主義の優位性をアピールしてもらったら
最高!と考えます。
以上
辛口ですんません。
自分はそういう
『ボバースセラピスト』になりたいと思います。
re:同感です
>Mですさん
コメントありがとう!
ボバースに限らず、理学療法全般かも知れないけども、治療効果をみると科学的根拠に乏しい。そして特に具体的なアプローチについては、さらに根拠は薄い。
それはそれとして、とにもかくにも「根拠がある」かのように吹聴して、自信を持っている、そしてそれを若手や内外に広めている人も多いかもしれない。
無害であればいいのだけど、患者さんを害する可能性もなくはないので注意が必要・・・
残念ながら、ボバースアプローチはエビデンスに乏しいのみならず、エビデンスに重要性を感じていないのかも知れないと思えるほど、エビデンスの提出(?)に無頓着に見える。
このままでは「ボバースは効果的だよ!根拠はないけど!」なんていう状態のまま、「普通の理学療法」と変わらないものになってしまう。
アンチになる必要はないけども、受講生はニュートラルな視点で「ホントかな?」と感じる必要があると思う。
ボバースインストラクターにしても、科学的根拠で見れば全くデタラメなことを、さも当然のように言っておられることがある。
筋力のアンバランスや脊椎(というか体表から見える棘突起の隆起)の偏移が少しでもあると、「腰痛が起こる」「力が出しにくい」などと訳の分からない説明をしておられたり。
こと、ヒューマンムーブメントコースが多数開催されてからは、「アンバランスアレルギー」みたいなものが出回って「左右対称」を強調しすぎたり、行為の冗長性を否定するようなことを言ったり・・・
また、少し離れたところでは
あり得ないことだけど、動脈と静脈を間違えてたり・・・
(↑看護師のするルート確保を・・・)
科学的根拠が出せたら全て是だとは思わないけども、少なくとも、週刊少年ジャンプの裏表紙にでてるワケの分からない健康グッズや金持ちになるグッズ、女の子にモテるグッズなどと同様にならないようにしてもらいたい。
ま、好きだから不満も感じるんだろうな。
↑と、フォロー
はじめまして
はじめまして。Kazzさん。
thinkableと申します。
わたしは、ボバース概念をベースとしたブログを書いており、世間一般からはボバース信者といわれるのかもしれません。
しかし、私は別に患者さんを見たときに、姿勢のアライメントや左右差からはいったり、いきなり中枢神経系から分析を進めているとは自分では思ってはいません。
ボバースを始めたころは、BOSがどうだとか、パターンがどうだとかといった分析のまねごとをすべてだと思い進めていました。
そういったことが、おそらく周りからボバース信者のように見られてしまう原因の一つだと考えています。
しかし、すこし経験が経つと、そのような分析はほんの小さな部分であり、もっと第一印象や本人がリハビリに対してどのように向かい合おうとしているのか?
などなど、始めたころはあまり重要と感じ取れていなかったことが重要だと感じるようになってきました。
ボバースはあまりにも多くの分野を取り入れてしまったため、形が定義されづらくなり、エビデンスにしようとしても、方法論が1~10まで形だてて決まっているわけではないので、おそらくエビデンスは出せないのではないかと思っています。
これは患者さんを良くするために必要なことはなんでも取り入れるという精神論があるからこそ多くの分野をたくさん取り入れてしまい結果的に方法論が提示できなくなってしまったのではないでしょうか?
そのため、やっていることに関連性がありそうな論文を提示して、間違ったことはやっていないと証明されようとすることは宗教的な見方を少しでも弁解しようと努力されている結果なのかなとも感じています。
これでは、ボバースアプローチはエビデンスに基づいて治療を行っていますとは証明できても、エビデンスがありますという証明には今後もならないのではないかもしれません。
でも、自分はボバースを通して多くの事を学ばせてもらえましたし、この仕事がとても好きになれました。ですから、ボバース・・・というよりもそれを教えてくれた先輩、上司、つきつめると生み出したミセスボバースさんにも、恩返しをすることが自分の義務だと感じています。
ですから、今後もブログを出すことで、少しでもボバースを勉強している=ボバース信者(脳やアライメントなどしか見ないようなセラピスト)と偏見を持たれなくなれる概念として認められるよう頑張っていきたいと思っています。
re:はじめまして
>thinkableさん
コメント有り難うございます。
ブログ拝見させていただきました。
とてもきめ細やかな内容で、感心しました。
これから参考にさせていただきます!
エビデンスが出しにくいのは分かります。
しかし
『おそらくエビデンスには出せない。』のままでは、「科学的根拠のないアプローチ」ということになります。
再現性のない、気分によるアプローチです。
大げさに言えば、
『気付かないだけで、患者さんに害があるアプローチ』かもしれません。
『ボバースであろうがなかろうが、結果に差無し』
ということを享受してアプローチを進めるのか・・・
僕もボバースに多くを学び、ボバースに感謝する人間として敬意を払っているのですが、このままアプローチ至上主義にならぬように願っています。
ブログ、参考にさせていただきます。
これからもよろしくお願いします!